緑閃光vol.1 相互評5
みなさんこんにちは。連休まっただなかですが、いかがお過ごしでしょうか。テンションが上がって子どもにもみくちゃにされて平日が恋しい桃生苑子です。
今回は前回に引き続き、緑閃光vol.1の相互評をお届けします。アンカーは瑞坂菜、ラブレターの相手は岡本はなです。お休みのひととき、ぜひお読みいただければ幸いです。
岡本はな「咲く・タイムラグ」評/瑞坂菜
残酷なミモザのやうなウイルスは生きるために生きるそれのみ
岡本さんの歌に、時々ドキリとさせられる。
それは、切口の鮮やかな潔さと、穏やかな目で見つめ語りかけるような表現が同時に表されているからだと、感じている。
ミモザの花を残酷と表し、時節流行の※ウイルスの形のようだとしている。菌類は命であって命でないような扱いを多々受ける。増して病の元で人の命を奪うものであれば、尚更だろう。そのウイルスの生き様を〈生きるために生きるそれのみ〉と言い切る強さに、初句句の残酷が呼応しているように感じる。作者の〈生〉への哲学をこの一首に感じた。
※緑閃光1の発行された四月は、コロナ禍の最中で、七月になっても世界を横行していた。
タイムラグ常にあることそちらでは願ひは無事に咲いてゐますか
何ごとにも時間のズレがある。花火の音と光の様にリアルに感じるものや、日常の仕組みで起こる事など、私達はそのタイムラグの影響を受けていることが多い。作者は常にあるとここも言い切り、視点をそちらでは、と移す。〈願ひは無事に咲いてゐますか〉異国なのか異世界なのか。しかし相手への思いやりと温かみを、上の句から下の句のリズムに、一層感じる。詠題の咲くは、何かの成就のようにも取れてもう少し聞かせて欲しい一首だ。
菜の花の風に混じりてうぐひすのエチュード光は嘘をつかない
菜の花の黄、春風、鶯の鳴き声と、色・香り・音声と賑やかで華やかな仕立てで、春のホワリとした感じを思わせる。しかし、それだけではなく、春にまだ残るピリとした緊張感で締めている。
遠景からズームインして鶯の声は、エチュード(練習曲)であれば若い春の歌声であろう。
それを取り巻く太陽の光の明るさは公平で、鳴く鳥を騙さず照らし、又、練習を重ねることは、上達を約束するものだと、ここでも何かしら信念のようなものを感じる。
顧みて、歌を詠む私への応援のようにも読め、更なる精進を思うきっかけともなった。
〈咲く〉は花が行う成長だけでなく、生きるものの変化であり成就であり、応援でもある、考えさせられる七首だと感じた。
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