なぜ,私たちは勉強しなければならないのか
おはようございます!ryokaです!
小学生の時に言ってる人いませんでしたか?
「今やっとる勉強とか社会に出て何の役にも立たんし!」
自分もその一人でしたが,テストで悪い点を取るのは悔しかったので,
「なんで勉強しているんだろう」と考えながら小中高と勉強をしていました。
そして最近,あの時に勉強しなければならなかったのか,少しだけ分かった気がしたのでそれをアウトプットしてみようと思います。
読解力を身につける
まずは,読解力向上であると感じました。
もし仮に基礎教育を一切受けなかったと仮定してストーリーを作ってみます。
私は小学校2年生のときに学校に行きたくないと言い,不登校になった。
両親はあの手この手で私を学校に導こうとするが私の意見は変わらない。
同級生が中学校を卒業するころ,私は欲しいものがいろいろできた。金を稼ぐために居酒屋でアルバイトをし始めた。
バイトをすることにより,自分の欲しいものを買えるだけでなく,裕福でははないが実家にいる分には生活は困らなかった。
ある日車を買うことにした。
しかし店員が言う言葉の数々は日頃慣れ親しんだものではなく,わからないことが多かった。その場でいちいち尋ねるのも面倒だったので,わかっているふりをし続けた。
ありそうなストーリーではないでしょうか。普通に人間として形を保ち,必要最低限の言葉を交わす程度には基礎学習は重要にはならないと考えています。
ある程度の敬語は社会に出てからも学べますし,四則演算は電卓があるから必要ないと言えるでしょう。外国人としゃべる機会はごくわずか。社会に出てから科学実験なんてしないし,歴史や地理を知っていたからといって特にアドバンテージになるわけでもない。
しかし,私たちが問題を解くために必要とされてきた読解力は社会のどの場面でも重要になってきます。
問題文を読んで正解を書き記す力は,仕事やプライベートで相手が何を自分に期待していて,それを満たすのが何なのか教えてくれます。
飲食のアルバイトでもお客さんのイレギュラーな要求に答えなければならないときだってあるでしょう。
基礎学習の目的は大まかなふるい分け
ほんとに頭がいい人と悪い人のふるい分けを行うためでもあると感じました。
勉強ができる人が頭がいいというのは比較的一般的なことだと思います。
やれ,と言われたことを高水準で達成できる人材が頭がいいと言えるでしょう。
そして,その頭のいい人は社会をいい方向にもっていくだけの力が備わっている可能性が高いです。
教育機関としては彼らにレールを敷くために動いていくでしょう。
また,勉強は誰の目から見てもわかりやすい指標なのでそうしやすいのだと思います。
例外として,勉強は苦手だけど「地頭がいい」と言われる人は少数ですがいます。
彼らは自分の得意なことを見つけ,自分の力でその道を切り開いたゆえにそう言わしめているのでしょうが,普通の子供たちを教育する機関においてその道を見つけるのは非常に難しいことです。
将来成功し,日本社会に役立っていくであろう人材に投資するためにはやはり勉強の成績という最もわかりやすい指標で判別する他ないと考えられます。
社会で新しい力を身につけるための練習
3か国語以上の言語を操るトリリンガルという人が世の中にはいますが,彼らのほとんどは2言語目の習得にかかる時間よりも3言語目の習得にかかる時間の方が短いと言われています。
それと同じように,成績を上げるために行った勉強が功を奏した場合,基礎学習とは違う類の勉強の定着度も向上します。
要は新しいスキルを身につけるコツがわかっているということです。
社会に出てからも勉強の連続だと,知人は言っていました。
私たちが勉強しているもしくは,勉強してきたことは将来の勉強のための練習だったのではないかとふと考えるようになりました。
私はまだ学生で,これからは研究に追い掛け回される毎日になります。
その毎日の中での成長は将来の自分のスキル習得のための練習になると信じて頑張ろうと思います。
まとめ
本日は少し短めの記事となりました。
まとめます!
勉強はどの学習内容の根幹にも読解力の向上が目的とされている。
問題の正解を導く力は,相手の要求に対して正しく答える方向へ導いてくれる。
頭のいい人=将来,社会に重大な貢献をしてくれる可能性が高い人を選別するためでもあると考えられる。
勉強が苦手でも自分の得意分野を伸ばすために努力できる人は本当に頭がいい人であり,成功する。私はそうなりたい
今まで勉強してきたのは,将来新しいスキル習得のためのコツを身につける練習だったのではないだろうか。
だとしたら今後の勉強への取り組み方も大きく変えていく必要がある。
本日はここまで!
ここまでご覧いただきありがとうございました!
ryoka
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