それぞれの戦い

この土日の宇都宮戦連敗してしまった。
最終節の秋田戦までWC争いがわからない展開。
その他にも決まっていない事が多過ぎて混乱しかけている。

今節観ていて個人的には富樫キャプテンの行動で、物凄く苦しく感じた。
まるでシーズン序盤に逆戻りしたような気がして・・・。
昨夏のW杯からずっと走り続けて来たし、両方でキャプテンをやってきてこう言う結果になってしまったもどかしさや責任感があったのかもしれない。
と同時に私の中学時代をふと思い出した。

それは小学5年の頃から抱えている“特発性脊柱側湾症“の事。
この病気は一生治る事はない。最終的に手術をしているので、私の背中にはインプラントが入っている。

中学2年の時に身長が伸びた事により悪化してしまった。
装具矯正治療適応となり、絶望感を味わった記憶がある。
一応装具を付けていても、コンタクトスポーツや体操系以外は運動可能だったけれど、いわば骨折をした時に固定するギブスと同じ様な物をほぼ1日中付けてなければならない。(成長期が終わるまで)
勿論動きは制限されるし、夏は蒸れて痒くなるし、圧迫されている分呼吸しづらい感覚だった。

当時私はバレー部に入っており、ほぼ休みなく練習をしていた。(レギュラーではなかったが・・・。)
母親は退部するしかと言ってきた。(理由的には動きづらいでしょうって事だったと思う。)
元々1つ上の先輩が1人しか居なくて、私達の学年は1年の時からレギュラーに入る子もいて一緒にやってきたし、これから代替わりするタイミングでもあったので複雑な想いを抱えながら顧問の先生に話さなければならなかった。
厳しい先生だから何を言われるかわからない中で、2人体育館の入り口で話をした事を今でも覚えている。

ただ先生の結論は想定と全く逆だった。
自分で言うのは気が引けるが、勉強ができる方ではなかったので、学校には真面目に行き生活態度も良好だった。
それを先生が評価してくれていて、マネージャーとして残らないかと提案してくれた。
それがなければきっと将来の目標とか持てずに人生どうなっていたかわからない。
辛くきつい状態だったけれど、裏方で支える事が自分の性格に合っていたし、一時的に忘れられた。結果今の職業選択になった。
先生には今でも感謝している。

ここまで私の経験談を話てきたけれど、チームスポーツは誰か一人でも欠けたら成り立たないし、同じ方向を向いていないと勝つのは難しい。そして悩んだ時は誰かが手を差し伸べないとそれもまた厳しい。

選手やチームスタッフも今とっても苦しいと思う。
それに対してブースターが批判するのは違うし、代わりができる訳でもない。
それぞれ色々なモノと戦っている。
ブースターも色々な応援の仕方があるにしても、節度を持たなくてはいけないと思う。

少なくても麻斗・聡理・マーカスは諦めてないと感じたよ。
それだけでもシーズン序盤とは全然違うと思っているし、成長してるはず。
この1年紆余曲折あったし、応援している身としても凄く疲れたけれど、まだ終わっていないから最後までCS行けるように後押ししたい。