自愛について

自愛がたりない。もっと自分を愛して。
カウンセリングなどを受けていると比較的よく聞く言葉かと思います。
マッチョなタイプの自己啓発も流行らなくなってきて、ゆるふわな自己啓発系とか、引き寄せの法則系やスピリチュアルな界隈でも良く聞くと思う。

確かに心を分析していくと、そういうところに行き着くんだけど、これって、いまつらいとか、よくなりたいって思ってる人に向ける言葉ではないんだよね。

足りないのはお前が悪いって言われてるような気がするじゃんな。

いや、言うほうの理屈もよくわかる。辛いのは自愛が足りないから、よくなりたいのは今が足りないって思ってるからでそれは自分が愛せてないから。いいたいことはよくわかる。

それはある意味その通り。でもよ、人間は常にいまよりよりよくなろうとするもんじゃないのかい。いまよりもっと。より良く、より美しく、より幸せに。

いまを維持できればいいんですっていっても、維持するにもエネルギーはいるんだよね。エントロピーは拡大し熱は拡散する。それがこの宇宙の法則で、熱を集めて命を維持しようというのが生命の基本機能の一つでもある。

欲望と執着の判断が難しいように、拡大と不足の判断も難しいのかもしれない。求めるという行為自体は同じだからだ。

だからね。ひとまずそれは忘れてもいいよ。それが楽しいなら考えたっていいけど、自愛が足りないって聞いてイラッとしたならそんなこと考えたくもないだろう?

だから考えなくてもいい、だって人は自愛から離れる事はできない。お腹が空けばご飯をたべるし、汗をかけばお風呂に入る。眠たくなれば寝るでしょう。それは自分を愛しているってことじゃないか。


もしそれらがなにひとつ本当にできなくなってしまったら、それは病気だ。エマージェンシー。他の人の助けが必要だ。かなり強い力でね。でも法も社会も周囲の人々も完全ではないけれど、その不完全ななかでも精いっぱい出来得る事はしてくれる。自分たちにできることはないのか、助けてあげたい。とそう思っている。そうなってしまったときにはとても信じられないかもしれないけど、いまの君に見えていないだけで、そういう世界もちゃんとあるんだ。
そしてもしそうなってしまったとしても、君は、他人を助けたい。という人のためになっている。君が価値をなくすことなんかない。

話が逸れたね。そこまでいかなくても、単純にしたくないときや、面倒な時なんかはそれより頻繁に訪れるよな。でも面倒でもそうしなきゃなってちょっとでも思っているなら、「自分を愛さなきゃな」って事が頭の片隅にはあるってことじゃないか、と思うんだよ。

だから自分を愛しなさいって言葉を気にしなくてもいい。

もうすでに愛せているってことにできるなら気づいてほしいってそうおもうんだ。

そんでそれに気づけたら、手にしているものもいっぱいあることに気づこう。君の望んだ愛ではないかもしれないけど、今この瞬間にあるものだってたくさんある。

そして欲しいものを欲しいと言おう。手をのばそう。

それ、それものは手に入るかもしれないし、手に入らないかもしれないけど、好きなものを好きだといい手を伸ばすという行為は君の人生になる。君が幸せになろうとした。君が自分を愛したという証明になるんだ。
そしてそれを証明した君は、その行為によって、他人の心に火をつける。俺もそうなりたい。って人に思わせる事ができる。
君が君らしくいるかぎり、君が君のために、そして世界のためにならないことなんかない。

世界のためになるときに世界のことなんか考えなくてもいいんだ。

君は幸せになっていい。大事な事はそれだけだ。そしてそれに理由などいらないんだよ。


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