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こんな時こそ、両親や周りの大切な人へ感謝の気持ちを

私は海外に出てカナダに1年、現在はドイツにいますが、その間父と連絡をとったことがありません。父に伝えたいことは今まで一つも伝えていないと思いました。

私は小さい頃から高校まで野球をしていました。クラブチームに入ったあたり、父が仕事から帰って来てから、毎日一緒に練習をしていました。

小学生、中学生の時は怒られた記憶しかありません。ホームランを打っても、レギュラーに選ばれても全国大会に大阪代表で選ばれても褒められていないと思います。私は褒められたかったのかもしれません。

そんな父が初めて褒めてくれたのは、商工会議所に就職が決まった時でした。私が就職活動で苦労していた時、お前やったら良いとこいける。俺は信じてる。と言われました。率直に嬉しかったですし、励みになりました。

会議所時代は初賞与の金額や給与状況などを伝えると凄いと言ってくれ、初めて認めてくれたような気がして本当に嬉しかったことを覚えています。それから私は会議所は辞め、カナダに行く決断をしましたが、全く止めるようなことはしなかったですし、何も言わなかったです。これも今考えると凄いなと思います。

印象に残っていることは、私がカナダから帰国し、時計販売員をしていて初めて売上トップに行けるかもしれなかった時、私は仕事が終わってもずっと2位の方から抜かれていないかと気になっていました。トップになって爪痕を残して辞めてやろうと思っていました。

それが大きなストレスでした。ドイツに行く前に掲げた目標。エージェントに頼らずビザや家、保険など全て自分でやる事。これができて初めて海外で独り立ちできると自分にプレッシャーを与えました。全てが初めてのことでした。

そんなことも重なり、過労かストレスか私は倒れました。記憶はありません。起きたら救急車でした。私はメンタルが弱っていました。

そんな時、父は何ビビってんねん。ビビったらあかん。気持ちで負けたらあかんと言いました。あの時本当に父のメンタルの強さを感じましたし尊敬しました。考えてみれば父の弱いところを見たことがありません。

あの一件以来、少しずつですが父と会話することが増えてきました。父も昔仕事で辛かった時、メンタルが弱ったとき、歯を食いしばって頑張っていたらしいです。

これを見ている皆さん、両親はいつまでもいることはありません。いつかはいなくなります。もしかしたら明日かもしれない。だからこそ今、両親に優しく接してあげてください。あなたがきつく接したのが最後の日だったら後悔しますよね。

大人になって両親に対してそんなことも分からないのかと思うこともあるかもしれない。幼い頃、親から辛いことをされた記憶があるかもしれない。嫌なところがあるかもしれない。感情的になったこともあるかもしれない。

それでも必死に育ててくれたんです。過去の経験は嫌な経験だったかもしれないけど、それは違う面から見たら、自分のメンタルを強くしてくれたという見方もできます。それだけ一生懸命言ってくれたって考えれると思います。反面教師にしても良いです。私は甘い環境では人間は成長しないと思っています。そして完璧な人間なんていません。私達もそうです。難しいですが許す努力をしてみましょう。

彼らも時代は違え私たちと同じく、就職活動をし上司に怒られ、嫌な思いをし、それでも必死で生きてきたんです。私たちはお母さんとお父さんとしてしか見ていないですが、私たちと同じひとりの人間です。

辛い時もどんな時も弱気になったらあかん。気持ちで負けたらあかん。と自分に言い聞かせ歯を食いしばって仕事をし、私をここまで育ててくれた両親を誇りに思います。
そして私は、両親の息子で本当に良かったと心からそう思います。ありがとう。

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