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朽ちた水車で米をつけたら

広島で2軒、岡山で1軒、いろいろな古民家に住ませてもらってきた。
残った家具を片付けて、破れた網戸をはりかえる。
藪になった庭を開墾する。
土を掘ればいろいろな物が埋まっている。
水路にたまった泥をさらう。


人がいなくなると住処は機能しなくなり自然に覆われていく。
風の抜けない家は朽ち果て、田畑も庭も森になる。


人が自然を侵略するというけれど、私はいつも自然に圧倒される。
有無を言わさず、強くて儚く、たぶん誰よりも正直な自然に。


私はいつもお願いをする側だ。
ちょっとこのへんだけいいですかね?
長くてもあと50年くらいなものですけど。


今後2万年間居住不可と言われるチェルノブイリはいま、
ヨーロッパ有数の野生動物の生息地になったという。
それが自然だ。


・・・・・


春がきたので家のまわりの片付けをした。
藪を切り開き泥をすくって、そうであったようにしていく。


古民家の片付けはかつての住人たちとの対話でもある。
ああ、ここに水がたまるから溝を掘ったんですね、わかります。
タイヤが転がっているここは車庫でしたか。
シールがたくさん貼られたタンスはお子さんのものでしたか。
自分勝手な自問自答だ。



家のまわりに手を入れていると地元の人にも声をかけられる。
庭に大きな石が転がっているだろ。あそこに石垣があったんだ。
ここは畑でな、野菜をつくってたな。
昔はこっち側に川があって、そこで大根を洗ってたんだよ。



荒れた土地に再び手を入れながら、
活き活きとしていた姿を見てみたかったと思う。
裏庭の朽ちた水車を前にして、
米をついていたというその風景を、
見えないものを見てみたいと思う。



隣で作業をする妻にそんなことを話したら、
「へー、じゃあ時代劇とか見れば?」と言われた。
違う、そうじゃない。

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