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他者の生きることに向き合うことで自らの生きることに触れる。『庭とエスキース』

北海道の開拓時代の最後に生まれ、絵描きを目指し挫折して、進んでいく時代のなかで自給自足を志し、小さな丸太小屋に暮らして庭を作り、そして再び絵を描こうとして、結局は自分の絵の世界を完成させることはなく九十二歳の人生を閉じた弁造さんの生きること。


それが、この『庭とエスキース』著者である写真家・奥山淳志さんが14年間撮りつづけ、どこまでも誠実にまっすぐ生々しく、そしてどこまでも他者としての敬意を抱きながらよそよそしく綴ったものだ。タイトルの「庭」と「エスキース」はそのどちらもが弁造さんにとって大切だったもの。ぼくは絵を描かないから、そもそもエスキースってなに?というレベルだった(調べてみたら絵を描くときのスケッチや下絵らしい)けど、庭はよくわかる。自給自足に近い暮らしを3年間して今は農家になった身だから、本書を読んでいても庭ばかりが気になってしまった。


水田に向かない土地だったから麦や豆を穀物として、寒い土地だから小さなハウスをつかって野菜を育てていた。自給自足は楽しくなければいけないと言って、毎春にプラム、サクランボやブルーベリーなどの果樹を植えていた。貴重なタンパク源だと言って、自力で手堀りした池にタニシや鯉を放っていた。甘いものは開墾生活や戦時中の暮らしで一番のご馳走だったからと言って、砂糖の自給を追い求めてシロップのとれるサトウカエデにたどり着いた。庭は労働の場だけになってはいけない、散歩をしていて楽しい場所でないといけないと言って景観の美しさを大切にしていた。そして、60年間住み続けた丸太小屋は、敗戦後のシベリアに抑留されていた弟が生還してから一緒になってカラマツを集めて建てたものだった。なによりも、弁造さんには確かな信念があった。


この庭は、実験場のようなものじゃ。日本が高度経済成長に入って、わしら百姓に、百の姓を持つ必要はない。作物はひとつだけでいいから大量に作れと言うてきた。土を肥やす必要もない。化学肥料を買えばいいと。わしは科学を信じとる。人間の智恵の集大成じゃ。わしらは科学で救われてきた。でも、だからと言って、そのまま鵜呑みにすることもできん。今の暮らしにはいつか限界が来ると信じとる。そうなると、たくさんの人が死ぬかもしれん。でも、限界が来た時、戻る場所があればなんとかなるんじゃないかという思いもある。わしの庭は、そのときのための実験場だ。こうした場所さえあれば家族ぐらいは生きていける。そういう場所を伝えることができんかとわしは庭を作ってきた。


ただ、その一方で迷いや葛藤もまっすぐだった。著者に連れていってもらったホームセンターで商品が溢れかえっていること、その豊かさに感動し無邪気な喜びを見せながらも、自身の営みにふと疑問を持つこともあった。

わしのやっていることは何の意味がある?毎日、土まみれになって、こうしてボロを着て、北海道で一番ひどい家に住んで、好きな絵もろくに描けんほどもうろくして。これが自給自足生活の喜びじゃって言っとるんじゃから自分でも能天気で呆れていまうわい。昨日のあの世界に、わしが作ってきたものが入り込む余地はあるのか。たとえ、あの世界が立ち行かんようになったって、わしの自給自足なんぞ必要にならん気がするんじゃ。



もしもぼくが弁造さんに会うことができたなら、ぼくは弁造さんと同じようなことを考えていますと伝えたかった。そして、弁造さんと同じようなことを考えている人は、きっと弁造さんが思っているよりもたくさん、それも世界中にいますと伝えたかった。人間こそが自然の一部であり、土と水がなければ生きていけないことを、もう一度思い出すときが来るんじゃないかと考えている人はたくさんいると思う。そしてその人たちは、弁造さんと同じようにふとした瞬間に自分の営みに疑問を持ってしまい、悩んだり苦しんだりしながらも、また何度も土を耕し種をまき、自然を信じているんだと思う。


この本を読み終えたとき、ぼくは弁造さんに会いたかったと思った。彼の庭を見てこの身で感じたかったし、彼の冗談を聞きながら一緒になって庭で体を動かして、土の話をたくさんたくさんしたかった。だから、大正九年生まれの弁造さんは少しだけ早過ぎたんじゃないかとすら思ったけれど、きっとそれは間違いだ。生まれに早いも遅いもない。迷ったり疑問を抱いたりしながらも、ただ一度きり、ぶっつけ本番の一発勝負しかない、誰にとっても平等な一つの人生を弁造さんは走り抜けた。時代は違えど、ただひたすらにそうでありたいとぼくも思う。



最後に。著者の奥山さんは、他者の生きることにこれだけ深くより添い続けながらも、決して安易に答えや意味を定めようとしなかった。だからこそきっと、この本を通じて弁造さんに出会った一人ひとりが、自分自身の人生の揺らぎに向き合いたくなるんだと思う。ぼくは庭について考えたけど、他の人がこの本を読んでどう感じたのかぜひ聞いてみたいな。


この本がなかったら知ることはできなかっただろう北の大先輩に出会えたこと、心からの感謝を。

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