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祈り2019(冬虫夏草)について

この作品の制作理由については”木彫で生計を立てる”と決めた時のことからになってしまう。
私は高校卒業後、京都の伝統工芸大学校という専門学校に進学する。
この学校では2年間で現役の職人さん達から徹底的に技術訓練を受けることが出来るのだけど、実際に作家業や職人として食べていくには情報量が少なすぎたし、流石に2年で習得できる技術は限られている。
そこで、飛騨高山の伝統工芸、一位一刀彫の東勝廣先生のところへ弟子入りのお願いに行った。職人としての位置付けでありながら、毎年東京で個展を開催するなど、作家としても名人として有名な方だった。龍と馬の作品を見た時に射抜かれた。習うなら絶対にこの方だと決めていた。
当然、何度も断られた。

”給料みたいなものは払えないし、第一にもう弟子はいらん。懲りた。”

そう、凄くタイミングが悪かった。私がお願いに伺う前の弟子がとにかく散々だったらしい。責任感の強い師匠は一度とった弟子にやめろと言ったことは一度もなく、言えなかった。
見かねた周りの人達(画商)が、これ以上師匠に迷惑かけるな、このままいてもお前のためにもならない。と言わなければならないほどだったらしい。散々な思いをした師匠はもう弟子はとらない、と強く決めていた。
そんな所に僕がのこのこやってきた。

諦めずに、作品を見せたり、何度も通っているうちに、師匠から黄楊の材料を頂く機会があった。師匠も本気で無理だと言っている事もわかっていたし、この黄楊で根付を彫って、次の訪問を最後にしようと思った。


作品の題材を決めかねていた時に、たまたま冬虫夏草をみる機会があった。
あれはツクツクボウシタケだったと思う。
成虫になりたかっただろうに、志半ばで敗れたのだな…
この幼虫の生まれてきた意味はきっとあったはず…
と酷く共感したのを覚えている。
木彫という自由に包まれた木の仕事で生きて行きたかった。それも難しい。そう思って見ていると、キノコの部分が、成虫の象徴である羽の形に見えてきた。幼虫の志は死んでいない。最後まで成虫になる事を諦めなかったはず、もしかすると菌糸の羽で飛んでいくかもしれない。なんて、馬鹿な事を考えた。自分にそう言いたかった。

決して叶わない願いでも、思い続ける事自体に意味があるのかもしれない。

そう思うようになった。そんな事を思いながら写真の根付を彫って師匠のところへ最後の訪問に行った。

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奇跡が起きた。
偶然、岐阜県で進めていた後継者育成プロジェクトが突然、具体化したので、誰かいい人いないか、と師匠に連絡があったらしい。
しかもかなり手厚い育成支援で、3年間弟子の給料も保証する内容だった。
弟子をとらない理由はないな。となった。お陰様で

”無理だとわかっていもやり続ける”

この心情が定着した。そしてこれが最強だった。正直、独立してからの困難は相当のものだった、公表する事を憚れる事なんて数知れず…。
今から思うと弟子に入れない、木彫で食べていくのに必要な技術が習得できないなどと、絶望していた自分が本当にかわいい。

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と、ここからやっと本作の話。
ちょっと、このところ、色々あってかなり疲弊していた。スランプなんて言えるほど実力もないので、何と表現したらいいのかわからないけど、とにかく、たった扉一枚先の作業場に行く事がつらいみたいな、恐らく表現者はみな知っているあの感覚。
これは今一度、原点に戻ろうと、初心に帰るべくもう一度あの図案を具現化しようと思ったのが本作の動機。結局、表現することでしか救われない。

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調べ物をしていると凄いことがわかった。
去年(2018)琉球大学の研究で、冬虫夏草が過去に何度も蝉の絶滅を阻止していたことがわかったそうだ。
簡単に説明すると、セミ達は人間で言うところのビフィズス菌のような共生細菌をいくつか持っていて、それが気候変動などで、何度も死滅しているらしい。つまり、なにを食べても栄養にならないので、餓死→絶滅。この危機を冬虫夏草の菌を取込むことで、失った共生細菌の代わりを果たさせて、乗り越えたらしい。

私の解釈では、冬虫夏草も幼虫に寄生する事で命を繋いでいなければ、セミ達は絶滅していた。究極の話、成虫になって子孫を残すことも、冬虫夏草の母体となることも、変わらない命の価値があるのだと思ったし、これはとても希望になった。あのとき感じた、なにか意味があったはず…という思いに間違いなく、意味があった。だからこの作品は希望に溢れる美しいものにしたかった。

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ここにきて、この図案は夢を果たせなかった無念の幼虫ではなくなった。
まだ知らない誰かの役に立ちたい。誰の役に立ったかなんてわからないまま死んで行っても構わない。とうっすら思えるようになった。

表現するのにも、生きて行くのにも、現代では理由を探してしまいがちだけど、生きるために表現している、表現するために生きている、生きるために生きている。これ以外に理由なんて必要ないと思わせてくれる制作だった。

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セミの共生菌は冬虫夏草から進化した-琉球大学
https://www.u-ryukyu.ac.jp/news/542/

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