山守、仕事人たれ

筆者はあえて申したい。「吉野林業の支柱となったのは吉野特有の山守制度である」と。

桝源助『わが吉野川上林業』、1970年、22頁。

ここ奈良県吉野では、「密植、多間伐、長伐期」を特徴とする林業が、三百年にわたって営まれてきた。
高密度に植えられた杉や檜の苗は、光を求めてまっすぐ上に伸びた後、少しずつ太ってゆく。そうして、目の詰まった通直で真円な幹になる。
木々同士を競争させつつ、混み過ぎたところは間引きをする。それをまめに幾度となく繰り返す。
そうやって樹齢二百年をも超える優良大径木を育てつつ、均整のとれた独特の「美林」を残してきた。

そのような時間と手間のかかる生産システムを可能にしたのは、所有と経営の分離である。
木を植えてから収穫を迎えるまでの間、その所有者となって資金を提供したのは村外の豪農や豪商であった。
一方、地元の住民はその現場作業を請負い、仕事場と収入を確保してきた。

オーナーの山主とマネージャーの山守、両者は領分を棲みわけ、共存共栄の道を歩んできた。

山主の大事な資産を長期にわたって預かることになる山守は、顔が利き、腕が利く、すなわち信用と実力の「名実」をともに兼ね備えた人物でなければならなかったのは間違いない。
そして山守は、自らは資産を持たずとも、裸百貫、その顔と腕ひとつで、山主とタメを張ったのである。

山守は父祖伝来の育林技術や経営知識を持っていた。具体的にいえば、植林・下刈り・枝打ち・間伐皆伐の時期設定、現地における労働者の手配と監督、丸太の搬出と輸送、時にはその販売にいたるまでを担当したのである。

谷彌兵衛『近世吉野林業史』、思文閣出版、2008年、54-5頁。

山守は「仕事人」であった。

ハンナ・アレントの『人間の条件』によれば、「仕事人」とは「人間の工作物にもう一つの、できれば耐久性のある物をつけ加えることに従事している人びと」(ちくま学芸文庫版、146頁)である。

とりあえず人間だけが「仕事」をする。
「仕事」を通じて「物」をつくる。
その「物」によって人間独自の「世界」は構成されている。

人間世界のリアリティと信頼性は、なによりもまず、私たちが、物によって囲まれているという事実に依存している。なぜなら、この物というのは、それを生産する活動力よりも永続的であり、潜在的にはその物の作者の生命よりもはるかに永続的だからである。(150頁)

自然界の生命過程においては「万物は流転する」。
もちろん人間もその一部をなしており、一方ではその流れに従い、生まれて育ち老いては死んでゆく。
しかし他方では、その流れに逆らって、永続的で安定的な「人びとが集結し、互いに結びつく」共通の世界を打ち立てようとする。

それが人間の「仕事」である。

世界は、絶えざる運動の中にあるのではない。むしろ、それが耐久性をもち、相対的な永続性をもっているからこそ、人間はそこに現れ、そこから消えることができるのである。いいかえれば、世界は、そこに個人が現れる以前に存在し、彼がそこを去ったのちにも生き残る。人間の生と死はこのような世界を前提としているのである。(152頁)

山守が仕事をしてきた山は、まさに、「私たちがやってくる前からすでに存在し、私たちの短い一生の後にも存続する」共通世界を構成する「世界の物」にほかならない。
そして、「それは、私たちが、現に一緒に住んでいる人びとと共有しているだけでなく、以前にそこにいた人びとや私たちの後にやってくる人びととも共有しているものである」がゆえに、世代を超えて受け継がれてきたのである。

実際にそこを歩いてみればよくわかる。
元々それは金儲けを目的としてつくられた「商品」にすぎない。
にもかかわらず、そこにあるのは計量可能な「経済的価値=value」だけではない。
環境保全やセラピー効果などといった多面的価値というのともまた違う。
決して数値化することもありきたりの既知に還元することもできない「絶対的価値=worth」が確かにそこにはある。

それは「仕事人」にしかつくることができない。

良い森にはその森にふさわしい時間の蓄積がある。

内山節『森にかよう道』、農山漁村文化協会、2015年、229頁。

私は山を所有していない。
資金も生産財も持っていない。
つまりは資本家たりえない。
だからおそらく、食っていくためには、ほかの誰かにつかってもらうしかない。

ただし、すぐに消費される「商品」を量産する凡百の「労働者」としてではなく、耐久性のある「世界の物」をつくる一流の「仕事人」として。

そのために必要なのは、もちろん「名」と「実」である。
それは肩書きや資格のことではない。

無条件の信用を託すに足る「規格外の顔」
経験に裏打ちされた「絶対的な腕」

それに尽きる。

その道のりは遥か遠い。
私はまだ仕事人どころか、この世界において見学者からようやく一歩前に駆けだすところだ。

ただその意志と覚悟をここに記すのである。


令和4年5月12日 株式会社キャピタリアン 設立

おひねりはここやで〜