退却のための開拓
山に道をつくる仕事をしている。
そもそもなにゆえか。
人間の世界のさいはてに立ち、神々の領域と相対する。
そこでは教科書もマニュアルも通用しない。
この未開拓地を前にして、その「さきがけ」をどう務めればよいのか、
それは誰にもわからない。
わからないからやっているのである。
世界のさいはて、そのむこうがわにあるのは「富」である。それは、食料でありエネルギーであり嗜好品であり、人間にとってのあらゆる富はすべて「むこうがわ」に眠っている。
気前の良い神は、いつでもそれらを世界にもたらし、その進歩と繁栄に寄与してきた。
畢竟、人間の歴史とは、かの神々との贈答をめぐる物語なのであり、その富をひきだす仕事なくして世界はあり得ない。
ゆえに私は道をつくる。
山に拓かれた道は、人間の世界と神々の領域を結びつけ、相互の対話を立ち上げるための回路なのである。
「むこうがわ」からもたらされるのは富だけではない。
それは、人間が世界を打ち立てたそのそばから、それを無秩序のうちに崩壊せしめんとジリジリ侵攻を開始する。
気性の荒い神は、ときには一瞬のうちにそのすべてを奪い去ってきた。
畢竟、人間の歴史とは、かの神々との攻防をめぐる物語なのであり、その侵略をくいとめる仕事なくして世界はあり得ない。
ゆえに私は道をつくる。
山に拓かれた道は、人間の世界と神々の領域を分けへだて、相互の均衡をまもるための緩衝帯なのである。
ふたつの領域のあいだに立ち、双方を結びつけると同時に分けへだて、かの侵略をくいとめながらかの富をひきだす。
なにもそれは特別な仕事ではない。
ビジネスマンとて同じである。
顧客という「神」を前にして、かのもたらすリスクを最小化しつつベネフィットを最大化する。
一流のビジネスマンはそのために、決して相手におもねることなく毅然としながら、臨機応変にきめ細やかな対応をするだろう。
山に拓かれる道も、それと同様、かの侵略をできるだけくいとめるためには剛健であらねばならず、かの富をより豊かにひきだすためには優柔であらねばならない。
ハードでなければ生きてゆけない、
ジェントルでなければ生きるに値しない。
と、フィリップ・マーロウが言うように。
山に道をつくる仕事をしている。
はたしてなにゆえか。
人間の世界のさいはてに立ち、神々の領域と相対する。
ただそこは、起死回生や一攫千金を掲げて再びむこうがわを蹂躙するための「最前衛」ではおそらくない。
遺すべきものを遺しつつ、ぼちぼち仕舞いして跡をよごさず退くための「最後衛」なのだと私は思う。
この後退局面を前にして、その「しんがり」をどう果たせばよいのか、
それは誰にもわからない。
わからないからやるに値するのである。
おひねりはここやで〜