欲望の継承 : 師に就いて学ぶとは

師弟関係とは何らかの定量可能な学知や技術を伝承する関係ではなく、「私の理解も共感も絶した知的境位がある」という「物語」を受け入れる、という決断のことである。言い換えれば、師事するとは、「他者がいる」という事実それ自体を学習する経験なのである。

内田樹『レヴィナスと愛の現象学』、せりか書房、2001年、18頁

山に道をつくる仕事をしている。

そのすべては「踏査」からはじまる。

その山をどう守るか、どう遺してゆきたいのか。
そのためにはどんな道を入れる必要があるのか。
それをはたして山は許してくれるのか。

現地に赴き、ひたすら登ったり下ったり、行ったり来たりを繰り返しながら、道を、ひいては山全体をデザインする。

それは、もっとも肝腎にしてもっとも難しく、そして、私の「道」のはじまりでもある。


6年前、

大学院生だった私は、教授に連れられて参加したとあるイベントで、たまたまその現場に居合わせた。

この道四十年だというその講師は、老齢に似合わぬ健脚で山をとび歩き、ここはこうだからこうして、あそこでああして、と息をつかせる間もなくそこに一本の「道」を描いてみせた。

もちろん当時の私には、その言っている意味の何一つ理解できなかったが、むしろ、それが何より意味のあることだったのだろう。

それは、今まで培ってきた、文脈から切り離され形式化された知識一般とはまるでちがう、その時その場所でしか価値をもたないような、記述することも再現することも不可能に思える、まさに「生きた知識」であった。

その未知なる境位にただぽかんとするばかりだった私は、まさかその人の拓かんとする「道」につづくことになろうとは、思いもしていなかった。


踏査を学ぶには、「師に就く」ほかない。

なんせ相手は「山」である。

そこには、どう扱えばいいのか「正解」が無いのみならず、「不正解」にはたちまち無慈悲な天罰が下る。

そんな人智を絶したカオスを前にして進むべき「道」を指し示す者、それが「師」である。

そこに立った瞬間、私には見えていないものが、師には見えている。

師に「見えているもの」を自分も見ようとする者、あるいは、師がそこに「実現したいと欲望するもの」を自ら実現しようと欲望する者、それを「弟子」という。

詮ずるに弟子の仕事は一つしかない、
師の「欲望を欲望する」ことである。

踏査にあたって、私は、五感を総動員して、師の「見えている世界」に目を凝らし、頭をトップギアでフルスロットルさせて、師の「先取りする未来」に追いつこうとする。

そこでは、録画もメモも用をなさず、そのつどその場かぎりの勝負で、理解というより「感得」、記憶というより「体認」すべく、全身全霊を投じなければならない。

当然、それでも師の有する知識と経験の深さと厚みに届くということはない。
しかし、その欲望に惹きつけられるうちに、眼高手低な不肖の弟子にも一つわかったことがある。

師もまた、かつてその師の「欲望を欲望した」弟子なのであり、年輪を重ねて今なお、その「欲望の継承」にとり憑かれてやまないのである。


…と格好をつけておいてなんだが、これらは私自身の洞見ではなく、もうひとりの師として(面識もないながら勝手に)仰いでいる内田樹先生のほとんど「受け売り」である。

その真意は、以下に引く師のテキストに言い尽くされており、ここまで冗長な前置きを弄してしまって、文字どおり僭越というほかない。

しかしながらこれは、その師の「欲望を欲望する」師の「欲望を欲望した」私の物語であり、またいつの日か現れるべき、我が欲望の継承者へとつづく「道」とならんことを欲するものである。

師に就いて学ぶとはいかなる営みであるか。
真の弟子とは、師匠が『した』ことをではなく、『しようとしたこと』をしようとするものである。師匠を見るのではなく、師匠が見ているものを見ようとするものである。
このことは賢明なる諸兄にはすでにご案内の通りであろう。
だが「師が見ようとしたものを見る」とはいかなることであろう。
かつて仏国の巴里にバド・パウエルと称する落魄せる老ピアニストがあった。
パウエル翁は楽想は天才的に豊かではあったが、惜しいかな長年の薬漬けで老境に至って指が動かない。
ために晩年の録音はかなり無惨なものであった。
しかし、バド・パウエルの音楽を真に愛する人が聴くと、この無惨なる演奏を通じてパウエル翁が『弾こうと思ったが弾けなかったフレーズ、頭に浮かんだのだが、指がそれに反応しなかったフレーズ』が聴こえる、ということが起こるのである。
佳話である。
しかるに、これと同じことが武道の道統の継承においてもあるのではないかとウチダは愚考するのである。
残念なことであるが、私たちが多田先生(註:内田先生の合気道の師)に術技において届くということはありえない。
では、多田先生の超絶技巧と、その哲学的洞見は受け継ぐものを見出さぬまま、いつか先生とともに消え去ってしまうのであろうか。
私はそうは思わない。
そうであっては、弟子である甲斐があるまい。
私たちがおのれの鈍根を顧みず、なお多田先生の道統を嗣ぐものたらんとする無謀な野心を持つことが許されるのは、私たちがいま術技として示し得るものではなく、その術技を通して「実現しようとしたもの」、いわば私たちの頭の中に鳴り響いている幻想の音楽を聴き取ることのできる弟子に出会う幸運なる可能性はつねに存在するからである。
おそらく多田先生の体の中には多田先生が実現しようとはげしく望まれた大先生の中の『幻想の音楽』が鳴り響いている。そして、その大先生の中の『音楽』は、大先生がさらにその師たちのうちにその響きを聞き取ったものなのである。
道統の継承とは、この「かたちなきもの」を聞き取ろうとする欲望のことである。
多田先生の術技と思想をそのままのかたちで継承することは私たちにとって絶望的に困難である。
だが、多田先生の術技と識見を「欲望する」私たちの欲望はただしく継承することができる。
それが果たされる限り、多田先生から数代のちの弟子のうちに、私たちがもうその顔をみることもできない22世紀の多田塾門人の一人のうちに、多田先生の術技と識見を「受け継ぐ」ものが出現する可能性は担保されるのである。
弟子とは師の欲望を架橋するものの名なのである。

5月26日 - 内田樹の研究室(括弧内、強調は筆者)

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