業を企て大いに学ぶ
とかくにかくありき、
「働く」
「就職は?年収は?」
ぼくは答えられない。
「研究する」
「学位は?論文は?」
ぼくは答えられない。
せんずるに、
働くとは、どこかの企業に入って労力と引き換えに賃金をもらうことらしい。
研究とは、大学組織のなかでポストを得るために業績を積み上げることのようだ。
さりとて、
働くとはなんぞ、
経済を為すことではなかったか。
研究とはなんぞ、
学問を為すことではなかったか。
しかれども、
企業が「世を経め民を済う」ための「業を企てる」器を失って久しい。
大学は「問に学ぶ」ための「大いに学ぶ」庭ではもはや無い。
さらば、
わたしは立つ。
この場所で、このメンバーで、
「いかに食っていくか」
その業を企てる。
そこから大いに学ぶ。
「食っていくとはどういうことか」
自らの生き様をもって答を示す。
かくして、
生きる
働く
研究する
それらが同義であるように
わたしは生きたい。
おひねりはここやで〜