完成させようと思うな、思った瞬間雑になる。
↑↑の言葉は、もう8年も前のことになるので詳しい経緯は忘れてしまったが、当時バズったかなんかでたまたま↓↓のブログで見つけた言葉である。
簡単に説明すると、念願叶って美術大学に通いはじめた筆者が、デッサンの授業で先生にいきなり言われたというのがこの言葉だ。
その真意について筆者はこのあと思い知らされることになるのだが、その臨場感あふれる戸惑いと気づきをぜひとも直に読んでいただきたい。
ともあれ、わたしは芸術に縁のない人間ではあるが、なにか作品をつくっている人には、思わず胸を衝かれる一言なのではないだろうか。
しかしながら、我々のほとんどが日々つくっているのは「作品」ではなく「商品」である。
商品は「完成」させなければならない。
それも、できるかぎり速く、多く。
わたしの場合、山に道をつくる仕事をしている。
山に手を入れるための道であり、自然と調和した百年先まで壊れない道と銘打っている。
この「壊れない道づくり」は、かりに国が破れたあとも山河とともにそこにのこる共有財産であり得るし、ある種のアートと見なされることもある。
けれども、わたしにとっては高尚な「作品」である前に、糊口をしのぐための「商品」でしかない。
商品である以上は利益を生まなければならず、その利益率はほとんど「タイムパフォーマンス」次第である。
つまり、どれだけ時間をかけずに「完成」させられるかが問題なのである。
だから、徹底的に無駄をなくす。
「完成」から逆算したうえで、シンプルでスピーディな、最も合理的かつ最も必然性のある段取りを追究する。
そして、ひと手間ひと手間そのつど「完成」させるつもりで仕事にあたる。
しかし、それ以前に問題であるのは、そうしてできた「完成品」のクオリティだ。
というのも、商品である以上その良し悪しを決めるのは「お客様」であり、その「神様」に「良し」と言ってもらわなければ、無駄をけずる努力そのものが無駄となってしまう。
石塚真一の漫画『BLUE GIANT』の第二部ヨーロッパ編では、世界一のジャズプレーヤーを目指す主人公率いるバンドに、大手音楽レーベルからレコーディングのオファーが来る。
粗削りだが異才をはなつ彼らの演奏をどう録音したものか、思案するレコーディングエンジニアのノアは、「Goodじゃ足りない」と、恩師の言葉を思い出す。
その後、型やぶりなレコーディングが功を奏し、「最高だ!!」と拳をつきあげるノアだったが、これもまたすべてのクリエイターが肝に銘じるべき金言だろう。
「良い」と思ってもらいたければまず自分を感動させてみせろ。
そして困ったことに、そうするためには、「完成させようと思うな」になる。
だって「思った瞬間に、雑になる」のだから。
その「振舞い」のひとつひとつがどれほど無駄なく洗練されたものであったとしても、それがいちはやく完成にむかうが故に、その「仕上がり」は必然的に「雑」とならざるをえない。
共感してもらえるかはわからないが、これはわたしの経験上そのとおりである。
一日一日、そのつど「完成」させるつもりで、たとえその日の帰り道に事故で命果てたとしても後悔しないような仕事をのこす。
のだが、あくる朝よくよく見てみれば、どんどん粗が見つかる、まったくもって「雑」である、「ことさら未完成」なのである。
それをまた「完成」させにかかる。
それもまた「雑」におわる。
その繰り返しである。
もちろん仕事である以上、使えるリソースには限りがある。
そのなかで、FantasticでUnbelievableな商品を「完成」させなければならない。
その一手で完成させろ。
それで完成と思うな。
この葛藤に引き裂かれてあることが「仕事人」の宿命であり手柄なのだとわたしは思う。
『BLUE GIANT』からもうひとつ、わたしの好きな言葉を紹介しておこう。
主人公のバンドが結成される前、メンバーの候補がもう一人をセッションに誘うのだが、特定の誰かと組めば人脈が滞るからとバンド加入に後向きな彼に対して、
「人脈なんてものは音楽が上がれば向こうからやってくる。」
だからまずは音楽を上げるべきなんじゃないかと諭す。
傲慢で単純なわたしも豪語してやまない、
「仕事なんてものは腕が上がれば向こうからやってくる。」
ただし、ひとつ留意がある。
仕事の「腕」は、仕事を通じてしか、つまり自分ではなく他者の目を通じてしか、視認されることも評価されることもない。
即ち、
いい仕事にやってきてほしければ、「良い」仕事をのこしてみせよ。
健闘を祈る。
おひねりはここやで〜