見出し画像

そのサッカーの大義はなにか?

今日は東京都社会人サッカーリーグ1部の試合があった。
今節は第3節で僕は1.2節と試合に出ていなかったので、今日が初スタメン初出場になった。
しかも渋谷区内での初のホームゲームということで観客も250人くらい入った素晴らしい環境。
改めて、サッカーはプレーすることが楽しいし、勝てなかったら死ぬほど悔しいし、情けないし、良いプレーができたらめちゃくちゃ嬉しいという事実を実感できた。

東京都社会人サッカーリーグ1部とは仮にJ1から単純にカテゴリーだけで数えるとJ7に相当する。

画像1

謂わば、日本サッカー界のボトムを支えているリーグである。
このカテゴリーには、SHIBUYA CITY FCみたく本気でJリーグ参戦を目指すクラブもあれば、社会人として働きながらサッカーとも向き合うクラブ、生涯スポーツとしてエンジョイするクラブ、大学生中心のクラブ、など本当に様々なクラブが入り交じっている。

各々、目的も趣向も違うのは当然いい。
目の前の相手に勝った負けた、調子が良かった悪かった、うまくいったいかなかった、楽しかったつまらなかった、なんでもいい。

ただそんな目の前のどっちでもいい小さな事よりも、もっと遠くにある大義を掲げてこそ、サッカーをする価値があるのではないか?と最近よく考える。

どうせやるなら、日本サッカーを強くするためにやろうよ。

選手はもちろん、監督コーチ、レフェリー、観客、サッカー全てに関わる人が、日本サッカーを自分の力で強くしてやるんだっていう大義を持って、やった方が未来のために良くないか?

日本代表になって、W杯で戦うことができるのは1%未満の人だけど、そこの勝敗は残りのサッカーに関わる99%の人達の責任だといっても過言ではないと思う。
だってその1%の人達は我々を代表して戦ってくれてるんだから。

そう考えたら、じゃあ日本サッカーが世界でも勝てるようになるには99%の人達がどれだけ日本サッカー界の底上げをすることができるかにかかっているのではないか?というひとつのメッセージが浮かび上がってくる。

僕がドイツでサッカーをしていたとき、月並みな表現ではあるが、ドイツではサッカーが文化になっていた。
それはどんなにカテゴリーが下の試合でも、ドイツサッカーはこういうものである。こう在るべきだ。みたいなのが、選手はもちろんレフェリー、観客、そこら辺のおっちゃんにまで一貫して浸透している。
ドイツのトップは、テクニックもフィジカルも兼ね備えて、ポゼッションも上手だが、下のカテゴリーになるともちろんそんな上手くはできない。

ただ、1対1に負けないとか、簡単に倒れないとか、例えとられたとしても強引にボールを前に運ぶ姿勢など、サッカーってやっぱこうだよね。というのが、義務教育の科目にあるんじゃないかと思うくらい浸透している(笑)

ドイツで初めての試合で、僕が少しファール気味に倒されたからアピールしていたら、レフェリーにも観客にも笑われたとこがあって。すぐあぁこれは恥ずかしいことなんだ。って察したよね(笑)
例え自チームの観客でも、ドイツサッカーに沿わないプレーに対してはブーイングをするし、笑われるし、逆に素晴らしいプレーには敵味方関係なく賞賛する。そこにはしっかりとした基準がある。全国民統一してるのではないかというくらいの明確な基準がある。

もちろんこれに日本がすぐなれるわけではない。
選手はもちろんだけど、レフェリーや観客も、今のプレーに未来があるのか?まで考えられるようになった時、日本サッカーの底上げ、トップの競技レベルの向上に繋がるんじゃないのかな。

例えばだけど、身体を張らずに、レフェリーを欺くようにファールをもらい、FKを得るとか。(簡単に成果を得れれるモノは総じて無価値なものが多い)
その時にレフェリーのジャッジの基準が、日本サッカーの為になるのか?という目線を持っていたり、味方もそれはないよ。と言って欲しいし、
見ているお客さんはそんなもの観にわざわざ来たんじゃないと怒鳴ってもいいと思う。

そんな、一人ひとりのほんの小さな積み重ねが、いつか身を結び、日本サッカーのためになるのではないかなぁ。

どうせサッカーをするなら、個人とか身の周りの人だけの小さな世界に留まるんじゃなくて、もっと大きなものに真剣に取り組んだ方が楽しいんじゃないかなと思った今日このごろ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?