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早慶戦で伝説になった話(前編)

高校時代のエピソードがありすぎて、いつまでも終わらなそうなので、今日は視点を変えて大学の話をしてみる。
僕は自己推薦入試で早稲田大学スポーツ科学部(所沢体育大学)に進学している。
色々、本当にいろいろあって、早稲田に行くことになった(この話はまたいつか詳しくしたい)んだけど、環境にめちゃくちゃ左右される、純粋無垢な僕にとって、これはポジティブな進学だったと思う。

高2のとき急に跳ねて、インターハイベスト4、高円宮杯優勝、選手権優勝、年を越してインターハイ優勝したときに、僕は無敵だと思った。
しかも、評定平均は4.6である。(僕はズルイから、テストの点だけは毎回とるようにしていた)
流大以外にいくなら、早稲田か慶應がいいなと思っていて、慶應はサッカーが強いイメージが無かったから早稲田にした。(本当は小論文が早稲田800字に対して慶應は2000字だったから)

1、あくまで、フェアな入試試験

沢山の人に協力してもらって、小論文の書き方から面接のやり方、書類の送り方を教えてもらった。自己推薦は書類審査通過後に面接と小論文を受ける。まぁ書類は通るとして、問題は小論文だなぁと。どうせ、スポーツ推薦じゃないにしても、ある程度サッカー部で誰を獲るとか、決まってるだろうと思い、あらゆるルートを使って、確度を高めようとしても、なんか出来なさそう。(本当に部活単位で握れないらしい)なかなかフェアじゃないか。早稲田大学。

2、きたる最終試験当日

びっくりするくらい遠くのキャンパスに行って、テンションガタ落ちのまままずは小論文。最終試験の通過率は3倍くらいだったから、席についてから周りを見渡したら、3人くらいなんとなく僕の方が良さそうな人を見付けたから、勝った。と心の中で思った。
机の上に鉛筆を10本くらい並べてる人、2人目は何かの冊子のようなものを熟読している人、3人目は忘れた、ただ何となく勝ったって思った。

3、800字の小論文テスト

こう見えて、過去問は5.6年遡り一応見てきた。問題の文章があって、それについて書け!っていうフォーマットなのは承知済みである。一個、漢文の年があったから、漢文が出てきたから潔くペンを置こうと思っていたけど、良かった、現代の言葉だ。
今でもはっきり覚えている、「天才と怪物」というタイトルで、イチローが天才で松坂は怪物だということがつらつらと書かれている。きた、僕はこの手の問題は大の得意。哲学的な話が僕は大好きなのである。
とはいえ、一発勝負のテストは緊張した。もしここで、書ききれなかったり、字数オーバーしたら、終わりだと。自分にプレッシャーをかける事で集中しまくった。ぎりぎりで書ききった。

4、圧迫面接

小論文が終わって、いよいよ面接。なかなか緊張した。向こうは教授が3人はいた、こっちはひとり。僕は心理学を学びたかったのと、インターハイでゴールを決めた時に、周りの動きがスローモーションに見えた経験から、「ゾーンに入る」という現象を科学的に理解したかった。そんな話をしたり、後はインカレで優勝したいんです!とかサッカーの話ばかりした。
良い感じに展開できていると思ったけど、意表をついた質問をされた。さすが一筋縄ではいかないなと。「早稲田で受けてみたい授業はありますか?」と。まだ入学したわけでもないのに、受けてみたい授業なんてわかるわけないだろ。(本気でそう思ってた)嘘はよくないから正直にわかりませんと答えた。多分今までそんなことを言われたことがなかったのか、凄く驚いた表情で、資料とかって取り寄せなかったんですか?と、あ、そこで気付いた、小論文のまえにみんながみていた冊子は大学紹介のパンフレットだったんだと。ここでも正直に、取り寄せなかったです。と答えた。
呆れた様子で、大学はサッカーをするところじゃないですからねぇ。と捨て台詞を吐かれ、面接は終了した。

何はともあれ、試験は終わったのである。開放、圧倒的開放。後は神のみぞ知ることだ、僕の手からは離れた。
結果は合格。面接が何点で、小論文が何点で、全体の何番目だったのか、というのが分からないのが入試の良いところである。合格か、不合格か、シンプルな二択。恐らく、キャラだったのか、たまにはこうゆうやつが居ても良いだろ的な感じだったのか、正直者がバカを見ない世界だったのか、答えは迷宮入りだが、野暮な詮索はしないのが男だろう。

一切、早慶戦の話に辿り着けなかったが、以上。
1830文字。


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