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【自己紹介⑤】スペイン・バルセロナの老夫婦からヒントを得た「サッカー指導者」としての役割(社会人編)

こんにちは、早瀬良平です!

はじめに言っておくと、僕は高校生向けのサッカーチームでコーチの活動をしながら、「サッカー×教育」をテーマに、サッカーに携わる高校生との1on1コーチングや、その親御さんのサッカー教育にまつわるお悩み相談を行っています!

小学生時代から大学時代まで、僕のこれまでを綴るシリーズも後半戦。プレイヤーから指導者になることを決意した大学時代を経て、ついに社会人編です!

ハヤセサッカースクール


◾️「好きなことを仕事に」でぶつかる壁

大学卒業後はサッカースクールを立ち上げて、改めてサッカーコーチとしてのキャリアをスタートさせました。立ち上げ当初から、サッカー留学でスペインへ行くことを目標に掲げて3年間はやりきろうと決めていました。

ハヤセサッカースクール


外資系企業からのオファーを断り(そもそも選択肢にありませんでしたが、一応、、)サッカー指導者としてのキャリアを選んだわけですが、好きなことを仕事にして初めてぶつかる壁もありました。

当時レッスン費用×人数が自分の給料に大きく関係していたので、お金とか関係なくピュアな気持ちで「子どもたちにサッカーを教えたい!」と思っていた自分にとっては、お金のことを考えないと自分の生活が不安定になるという状況が、理想と現実とのギャップがあって一番辛かった。

今思うと、まだまだ学生気分の自分は甘いなぁと思いますが、社会人になって初めて「仕事=生活がかかっている」ということを実感して、つくづく好きなことを仕事にするって簡単ではないなと思ったのを覚えています。

◾️バルセロナの老夫婦から学んだ、サッカー指導者としての役割

今思うと、サッカー漬けだった学生時代から解き放たれた社会人前半の期間は、過去にできなかった「学び」と向き合えた期間だったなと思います。

大学卒業後、3年間はサッカースクールでの指導をやりきりました。そして1年間はスクールを青学時代の後輩に託し、スペイン生活をスタートさせます。

バルセロナの画家さんと

1年間のスペイン・バルセロナでの生活では、とにかく語学を学びました。英語とスペイン語はもちろんのこと、当時の恋人が中国人だったので中国語も学ぶことができました。

サッカーを学びにきたつもりでしたが、途中から「サッカー以外のことを学びにきたんだな」と思うようになりました。

今でも鮮明に覚えていますが、バルセロナに到着した初日の夜、たまたま立ち寄ったバーで70代くらいの老夫婦がとても楽しそうにお酒を飲みながらダンスをしていました。

仕事ばかりに没頭していた自分にとっては、その素敵な老夫婦の心の余白みたいなところに魅力を感じ「自分もいつかこういう生活をしたい…」と思うと同時に、サッカーを通して子どもたちにも目の前のサッカーだけでなく、将来の生活やキャリアについても伝えられたら…と考えるようになりました。

バルセロナのバルでサッカー


1年間のスペイン生活では、陽気なスペイン人たちとの生活を通して、生きるとは何かを学び考えることができた期間でした。

自分自身が心の余白の大切さを学び、自分が携わる
「サッカー×教育」について深掘りできたかなと思います。

次回は、本シリーズ最終回です。

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