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拗らせコミュ障、前向きに「悔しい」と思うようになった

ジョージアにきて11ヶ月。もうあと2週間くらいでまる1年になる。年末も年末なので、今年お仕事や新たな関係を頂いた各所への挨拶兼営業メールを書きつつ、休憩がてらちょこっと振り返ろうと思う。

午前3時、大袈裟でもない荷物を背負って歩く日(12/27)

拗らせコミュ障、ジョージアへ


大学を経て爆誕した拗らせコミュ障(飯田さん談。自覚あり)だった自分は、昔から強大な壁だったり、同じ道でも先を行きまくる人を見ると大体心がポキッと折れていた。「この人には追いつけない。自分がやっていた事は無駄だったのか」と。
それで、大体その道から数年単位で逃げる。逃げ。とにかくその環境・人、物事を取り巻く全体から逃げていた。1部はドラムみたいに逃げても結局戻ってくるんだけどさ。なんだかんだ13年叩き続けている。

ジョージアに来る時に決めていたのが、「これが最後の逃げ」ということ。今までのコミュニティから物理的な距離を置くのはもちろん、今までとは相当違う角度のコミュニティに身を投じることで背水の陣を形成した。
結果、その道やコミュニティで凄すぎる・尊敬する人を沢山見たこの1年で、大谷翔平選手の言葉を借りていうなら「憧れるのを辞めた。」

追いつけ、追い越せ

追いつけないなら、自分が得意とするところで自分がリードする、憧れられる立場になればいい、そう考えるようになった。逃げることなく、方針転換を図る。戦争中の日本の言葉で言えば栄転。でも自分はこれをネガティブに捉えなくなった。今までと比べると六角形のレーダーチャートの5項目くらい、激伸びしている中でもこれが一番の成長だと思っている。

今はノマドニアで業務効率化の講師を担当させてもらい、実際に自分の背中を見て頑張ろうと色々試してくれている人が出てきた。12月にはMakeの入門教材を発売し、1月からは新しく開発で委託契約を結んでいただける会社もある。

でも、今でも前を向くと凄い人の背中が見える時がある。完全に同じ道ではないにしても、人間性だったり、仕事の内容はよく分からないけど自分の仕事にも通ずるという意味で背中の半分が見えていたり。
今まではその状況に絶望して逃げるだけだったけど、今は「別の道を作って前進して、何ならその人達を飛び越えて背中を見せてやる」位の悔しさ、負けん気が全面に出るようになった。もちろん、前提に相手へのリスペクトがあってこその負けん気である。
いや、今までもあったんだけどそれよりも逃げの気持ちが大きく前に出ていた、という方が正しいかな。

出来ることを少しずつ

人に物を教える際に「自分の中の当たり前は相手にとって当たり前ではない」という事を念頭に置いている。自分の中では「予定・仕事があれば3時起きは出来る(毎日続く訳じゃないし。)」「既読1分、内容理解1分。受信~返信まで5分以内」も当然。既読に関しては通知音が鳴ると必ず見ちゃう性格なのもあるが。
それがあるから、周囲からの評価に繋がってくれている。そうした自分の中の当たり前を少しずつ積み重ねていけば、大きな実になるというのは今年特に感じた。これは継続していきたい。

来年、どうする?

とりあえずジョージアに残れるだけ残ります。どんな仕事を誰とさせて貰えるかもまだまだ分からないし、何よりジョージアは不便こそあれどそれもひっくるめて楽しい。

久々の昼断水と、倒れていた看板と停電間近

ただ、仕事が多すぎても身体を壊す事はなかった、この無駄に丈夫な身体を使って月幾らまで収入を出せるのか、身体が壊れない&きちんとクライアントさんが満足出来る仕事をどれだけ作れるのかという月を作ってみようと思う。来年は頭からフリーランスとしてフル稼働できるので、今年のように仕事量が上下するより収入を見極める年になりそう。

来年はより多くの、新しい人と仕事に出会い、その人達に会いに行ける暮らしを。今年もありがとうございました。

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