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旭川空港にて考えたこと

大学2年の前期も終わり、後少しで後期が始まる8月下旬。私は、北海道に来ていました。滞在している場所は、さとのば大学春季プログラムでお世話になった「名寄」。なぜ、「名寄」に来たくなったのかをまとめていく。

さとのば大学が終わって5ヶ月

 さとのば大学が終わってからの5ヶ月間は、今までやらなかったことに挑戦しようと思って、走ってきました。走ってみると、色々な世界を見たり、今まで知ることができなかった世界を知ること、体験することができました。しかし、その裏で「疲れている自分」がいました。何か課題や仕事が一段楽したときにご褒美として行っていた栃木の山奥にある蕎麦屋に、頻繁に行きたいと思うようになったり、自然がありかつ空気の美味しいところ、またそばの美味しいところに行きたいと常に思う自分がいました。なぜ、「疲れている自分」ができてしまったのか、それは自分の取り柄だと思っていた「考えることが好き」ということが一番影響していたと思います。

考えることは時に自分を苦しめる

 私は、考えることが好きな人間です。何気ない作業しているときや運動をしているとき、ボケーっとしているときなど考えているときは様々です。また、考えていることも様々です。「論理的に考えているとき」もあれば、「問題の原因を分析しているとき」、「問題を解決するためのプロセスを考えているとき」など多岐にわたります。
 しかし、問題の本質を考えていき、自分なりの問題の核を見つけたときに、どのようにその核と向き合うのかができていないなと思うことがあります。考える問題の中には、解決することが難しいなと思うことがたくさんあります。でも、考えずに放置することは逃げているのではないかと思ってしまい、考え続けていました。
 考え続けると、なぜこの状態になったのだろうと腹が立つとき、何もできない自分に苛立ち、また自分の置かれている状況や環境に動揺するときがあります。振り返ってみると、自分を疲れさせている原因だと気づきました。

考える人間には「攻めるとき」「守るとき」を使い分けることが大事

 最近、中高時代にお世話になった先生とご飯に行く機会がありました。その際に、自分が感じている課題や考えていることを話しました。そのとき、「もっと楽に考えてみたら?」と言われました。先ほども述べたように、私は考えていくうちに自分を追い込んでいます。そのことで、疲れている自分がいる。これは、まずいと思っていたときに言われた言葉でした。
 そこから考えたのが、考えるときに「攻める」と「守り」の2つ頭を使い分けることです。「攻める」ときには、クリエイティブなこと(これがあったら面白いのではという企画など)を考えたり、または課題の問題点を探り、解決策を考えてみる。一方「守り」では、考えた企画の穴を見つけたり、どうやったら実現できるかを徹底的に考えること、また「攻める」ところで考えたことを楽観的に見てみることです。

疲れたら、一度立ち止まって自分と話してみる

 今回、北海道でこの記事を書いてみて思ったことは、疲れているのなら自分と話すことが必要だということです。また、自分について考えてみるということです。「疲れているけど、どこで疲れているのだろうか?」、「どんなときに、疲れているのか?」、「なぜ、疲れているのか?」を考えてみることで、日頃は忘れてしまっている自分と話すということができると思います。
 ぜひ、自分と話す時間を持ってみてはいかがでしょうか。




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