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快楽を邪魔するモノの正体

子供の頃、あんなにTVゲームに熱中してたのに、大人になってTVゲームやってみると全然楽しめない。なんてことありませんか?

私は20代の頃はお金がなくて、仕事を一生懸命頑張った。あの頃は、使えるお金と時間が増えれば幸せになるだろうと思っていた。ありがたいことに、今現在はそれなりの報酬をいただくようになった。
使えるお金はあるのに、なんで人生がこんなに楽しくないんだろう?

大人は俯瞰して自分を見てしまう

最近、オードリー若林さんの「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」という本を読んでいて、その中で、人がものごとを楽しめない原因は「なんでも俯瞰して見るから楽しめないんだよ」と文章にグサッときた。

TVゲームする、美味しい食事をする、旅行に行く。本来は楽しいことをしているはずなのに「こんことしてる場合じゃない、もっとやるべきことが他にあるだろ」と、心の中で俯瞰して自分を見てしまうから楽しめないんだ。と納得。

相手の反応を気にしすぎる

この「俯瞰して自分を見てしまう」は、特に男女の関係において傾向が強い気がする。デートをしていて相手が黙っていたら「楽しくないのかな?」とか、繋いだ手を離されたら「俺の手汗ばんでた?嫌だったのかな?」とか、気にし出すとキリがない。

自意識過剰かな。と思ってやり過ごしていたら、後になって彼女からダメ出しを受けたりして、本当に凹む。今はそんなことないが、純情な20代の頃は、こんなことで悩む時期が多かった。

エッチの時の不安

女性は気遣いの生き物だと思っている。
女風のお客様も、見た目を気遣ってくれていることはもちろん、食事や手土産まで用意してくれる方もいる。

お金をいただく立場なのに、そんなことまでしてもらって申し訳ないが、「本当にありがとう」と言葉と態度で示すことが礼儀だと思って受け取っている。

そんな女性だからこそ、エッチの時、すっごい気を使っているのがわかる。
「容姿が残念だと思われてないかな」
「匂いは臭くないかな」
「私の性癖はドン引きされないかな」
と自分を俯瞰して見てしまい相手の反応を気にしてしまうんだと思う。

こんな不安があるとエッチに没頭できない。
当然気持ち良くない。
こんな不安を払拭させることがセラピの大事な仕事の1つだと思う。

私ってちょろい女

ある日のお客さん。
ホテルの部屋に着いて、ソファに座ったとたんに、
「私ってちょろい女なの」
「責められるとすぐイッちゃうから」
「でも、いっぱい責められたい、今すぐ犯して」

と、言われてビックリしすぎて返しに困ったが、
男の本能で相手を求めることにした。

テクニックなど何もない。
とにかく女を体をむさぼる。
言葉もいらない。お互いの激しい吐息だけ。
執拗に。何度も何度も果てるまで。
快楽を味わうというより「解放」に近い。

この時を思い返すと、相手からどう思われるかなんて考えてない。
お互いただヤルことだけ考えて本能に従うのみ。
人生で最高のエッチだったかもしれな。

オレはもちろんイッてないが。
こちらは仕事なので。。。

俯瞰している自分を俯瞰する

マインドフルネス瞑想のマインドフルネスとは「気づく」ことらしい。
瞑想をしていて注意が散漫している自分に「気づく」ことが大事だとか。

「俯瞰している自分を見る」からものごとが楽しめないのであれば、
「俯瞰している自分を見る。から楽しめない自分を俯瞰してみる」とさらに上位の視点で自分をみると、少し楽になるではないか?
略して「俯瞰俯瞰」とでも言おうか。

と、思いながら昔好きだった「ファイナルファイルト」というゲームを久しぶりにやって見る。「俯瞰俯瞰」してみた結果。

全然集中できねぇ。



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