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僕が研究者になろうと思ったのは。

『いま博士課程進学率が下がっているのは、博士課程についてネガティブな投稿がSNS上に溢れているのが原因だ!』

そんなお話を最近見かけました。
この原因が本当の話なのかは置いといて、そもそも僕はなんで研究者になろうと思ったんだろう?そう考えると、未来の誰かのために、僕が研究者になろうと思った経緯を記すのも大切な仕事なのかな。そう思い、このお話を書くに至りました。

1000文字程度の短いお話なので、読んでいただけると嬉しいです。


簡単な自己紹介として、僕は普段、宇宙(超新星)について理論の研究をしている天文学者です。正直、研究者としてはまだヒヨコですが、いちおう研究でお給料をいただいてます。

そんな僕の幼少期は、ひとより少し宇宙に興味があって、ひとより少し算数や理科が得意な程度のものでした。決して宇宙オタクでもなければ、神童というわけでもなかったです。もちろん父も母も研究者ではなく、非常に一般的な中流家庭です。強いて言えば僕は一人っ子だったので、とにかく母から愛を受けて「母の自慢の息子」として育ちました。将来の夢として研究者を考えるようになったキッカケは、高校生の頃に友達に言われたひと言。

『あんた数学も物理もできるし研究者とか向いてそうやん、恰好いいで。』

これは本当に最初のキッカケに過ぎないです。ただ、これを機にぼんやりと研究者になることを考えるようになり、大学は理学部に進学しました。この将来像がくっきりとしたのは大学3年生の時です。この年、母が癌で亡くなりました。

母が亡くなる半年前くらい、僕は物理の研究所(KEK)が主催する10日間のサイエンスインターンに参加していました。当時母の容態は末期で、抗がん剤治療で体力的にも衰弱していましたが、本人の希望で自宅で療養していました。母にとっては自慢の息子が宇宙や素粒子の勉強をする様子はなによりもの楽しみだったらしく、毎日ネットにアップされるサイエンスインターン写真が楽しみで仕方なかったと、のちに父から伺いました。

10日間のサイエンスインターンを終えて実家に帰ると、母はインターンで僕が研究していた内容について、事細かに楽しげに質問してきました。なにより僕が驚いたのは、その質問の内容がとても専門的だったことです。母はいつ勉強したんだろう、そう思っていると、リビングのテーブルの隅に雑誌「ニュートン」の宇宙に関する特集号が置いていました。そのニュートンには、到底雑誌へ付ける付箋の数でないほど、びっちりと付箋がつけられボロボロになるまで勉強した跡がありました。自慢の息子が研究に勤しむ姿が誰よりも好きで、なにをしているのか少しでも理解したかった、とのことでした。

僕が研究者になろうと思ったのは、誰よりも僕の傍にいたひとが、僕が研究者になることを格好良いとおもってくれたからです。

ここまで読んで、あまりにも個人的な経緯だし、幼い考えかも知れないですが、やっぱり研究者って、僕は格好良くってなる職業だと思うんです。長々と読んでもらったのにほんとうに幼稚な結論で申し訳ございません。ただ、誰かにとってこのnoteが、研究者を格好いいと思えるキッカケになってもらえるなら、僕はとても嬉しいです。

そして研究者という職業と選択を、色んなひとが応援してくれるような世界になると、もっと嬉しいです。

澤田 涼
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