25歳になった

タイトルの通り、8月31日は私の誕生日。
1998年に生まれて、四半世紀生きた。

何か特別な事を成し遂げた訳ではないし、人に自慢できるようなことでもない。

四捨五入すれば30になるわけで、同年代の人達は結婚や出産もチラホラ。

将来的には結婚したいと思うし、自分の子供が欲しいとも思う。
前にお付き合いさせて頂いていた女性とはその点に関する価値観が合わないこともあって(理由はそれだけではないが)、別れるという選択肢を取った。
(彼女の名誉の為に残しておきますが、私には惜しいとさえ思うような素晴らしい方で、彼女と過ごした日々は輝かしい思い出ばかりです。)

今回に限らずだが、彼女と別れた話などをすると年上の人はほぼ決まってこう言ってくる。

「遊べるのは若いうちだけなんだから、1人の時間も大切にしな」

気を遣ってくれているのは嬉しいが、いわゆる「遊び」を私は望んでいない。

もともと真面目と言われる類の人間だし、百聞は一見にしかずと「遊び」に手を出してみるも、ことごとく失敗してきた。

私の25年の人生で唯一の「遊び」による成功体験といえば、大学生の頃に一度ぐらいは経験してみようと思い父を誘って一緒にパチンコ屋に行った時、1000円が9000円になった、ぐらいのものだ。

今は仕事しているけど、職場の誰からも心配されるほどワーカホリックだし、かといって別に今の状況を悲観的に思うことは全くない。それで良いと思っている。

私は、きっとそういう人間だから。

私には一般的な人よりも自分の気持ちを優先したい、という意思が弱いように思える。
そして、他人の力になりたい、他人に喜ばれたい、という感情が強く働く傾向にあると思う。

だから人よりも遊ばないし、人よりも沢山仕事を抱えてしまう。

デメリットもちゃんと理解はしているつもりなのだが、私の性質上、やはり簡単に仕事を人に預けたりはできない。

そんな私の人生に、ある「強制仕事丸投げイベント」が発生した。

コロナウイルスへの感染である。

誕生日の2日前、職場の方がコロナ陽性になり、一緒に車移動していた私も陽性反応が出てしまった。

私の25歳突入は、自宅から1歩も出れずに幕を開けることとなってしまったのだ。

よりによってこんな時に...と思わなくもないが、別に誕生日だからといって遊びに行く予定があった訳でもないし、この歳になると大勢の人に祝われたいとも特に思わない。

コロナ発症の1,2日目あたりは高熱と頭痛でまともに動けなかったが、今日辺りから徐々に動けるようになってきた。

今朝起きてまず最初にした事。
それは、仕事用PCの電源を入れる事だった。

私の職業は伏せさせて頂くが、オフラインでの業務が9割5分を占めると言って良い。
一応PCは開いてはいるものの、ほぼ仕事にならないのである。

これが辛いの何の。

正直、痛みには強い方だから頭痛やら何やらフィジカル的な苦痛には結構耐えられる。
ただ、今は仕事ができない事が何より辛い。

そんな中、唯一の光となっている出来事がある。

私には現在、好きな女性がいる。
その方と、電話をする。
これがめちゃくちゃメンタルヘルスに良いことに気がついた。

仕事もできない、外にも出れない、テレビやゲームもずっと同じですぐ飽きる、私の心は枯渇していた。

そんな中、私を気遣ってか、はたまた全くそんな意図は無いのか、彼女は突然電話をかけてくる。

嬉しくて、急いで応答する。
何を話す訳でもないが、この時間が私の渇いた心をあっという間に潤してくれる。

次第に思うようになった。
彼女に自分の思いを伝えてみたい。

電話で伝えるのはやはり味気ないし、失礼な気さえする。
何より、伝えるなら面と向かってちゃんと伝えたい。

だが、物理的な距離がまあまあ離れているため、気軽に会いに行く事も困難である。

次、彼女に会えるのは早くて3月ごろだろう。

その時に、私は自分の思いを伝えられるだろうか。
好きな人に、自分のワガママを貫き通せるだろうか。

「好きです、付き合って下さい。」

このフレーズはきっと、自分の思いが最優先されていないと言えないはずだ。
自分のワガママで、相手の自由を奪うフレーズなのだから。

この言葉を面と向かってきちんと伝えられるように、少しずつ、自分の気持ちを優先する練習を始めていこう。

あと半年以上ある。
エゴイストになれるか、乞うご期待。

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