見出し画像

朝4時半は摂理の世界。 (後編)

どうも。連続投稿9日目のリョウです。今日もnote書くよ。

さて、いざ朝4時半の外の世界へ。着の身着のまま、何も持たずに出て行きました。初めに驚いたのは信号です。昼間は車と人とを制御するための装置なわけですが、そのどちらもいない世界では、もはやただの周期です。ひたすら繰り返されるコード進行のようなものです。

さらに驚いたのは、それをみたとき一瞬立ち止まったことです。誰もいないし、車も通っていないのに、どうして自分は立ち止まるのでしょうか?そのとき自分はいかに『危険と思われるもの』だけを見てきていたのかを知りました。周りをよく見渡して、隅々まで見れば、危険かそうでないかなんて簡単にわかるのです。

車も通っていないので道路をどう歩こうが自分の自由です。というわけで道路のど真ん中に立ってみました。そこそこ幅員のあり、一直線に伸びる道路だったので真ん中に立つと本当に気持ちがいいです。車のウインドウ越しに見る景色とはまた違った魅力があります。

地平線なんてサハラ砂漠やゴビ砂漠なんていった自然の中にしかないとついつい思ってしますが、そんなことはありません。時間をずらせば、場所を変えれば、見方を変えれば、いつだってそこに地平線はあるのです。

散歩を進めていくうち、新築の作業現場に出会いました。なんとなく気になったので立ち止まってみているうちに、ふとまとめられていたゴミに目が行きました。ビニール袋の中身をちらっとみると、コーヒー、エナジードリンク、お茶、水といった飲み物のゴミが入っていました。

最近カフェイン。特にエナジードリンクはやめようと決めてもう結構たちますが、ああ皆頑張っているんだな、と労いの気持ちが湧いてきました。皆無理をしているんです。無理をした分ゴミなど別の形で表れてくるのです。

やがて日が昇り始め、だんだんと人が姿を表すようになってきました。自分の住んでいる近くは江ノ島が近いので、この時間はサーファーがサーフボードを自転車に取り付けて海へと向かっていく時間なのです。

朝はやれることなんて限られていると前編で書きましたが、何もできないからこそその場所の自然というか、自然な振る舞いというものが見えてくるのではないかな、と思いました。この時間は誰しも自然に従っているのだと思いました。自然の中に人を惹きつける法則があるように思えました。

といったところで、『朝4時半は摂理の世界。』でした。ここまで見てくださりありがとうございました。何てことない二部構成でしたけど、謎の達成感ありますねこれ。書いているうちにふとELOをタイトル画像に使おうと思った話をしようとも思いましたが、今回はこの辺で。またいつか書くかもしれません。

それでは今日はこんなところで。また明日会いましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?