第34回 ツール・ド・おきなわ市民140km 準備編

主に来年の自分へ向けた備忘録。他の方々のレポートに感化されたのも大いにあり。
こちらでは心境を中心に練習の方向性やそのときの肌感を書き連ねていくので、機材や栄養、パワーデータに基づいたトレーニングプランなどを気にする方には読む価値はないかもしれません。


①6月〜9月
別競技だがとんでもない結果を残している友人に、「レースで最初からエンジンがかかっている奴は良いように使い捨てられるか自滅していくだけ。本当に勝つ人は覚悟を決めて緩いルーティーンからこなしていく」と言われた。
前半部分はまさに6月頃までの自分であり、レースでも全くパッとしないただのクソガキであった。それ以降、アタックやブリッジをかける時・前を引く時は、コレって勝つために意味あんの?自分が気持ち良くなってるだけじゃない?本当に追い込み切るべきポイントはどこか?など全ての行動に対して疑問を持ち、意味のある動きを心がけた。

練習環境としては彩湖朝練へ定期的に参加させて頂き、週末or休日には東京から練習仲間のいる房総まで自走してロングを走り、長時間低強度と短時間高強度インターバルの両極端を積んでいくポラライズドトレーニングもどきを採用した。身体が強くなるのは運動中ではなく休息している時であるため、毎日乗ることは避けて定期的に全く乗らない日も設けた。
看護師で休日が不定期であるため、早朝で安定して参加出来る彩湖練を中心に他のトレーニングを組み立てていった。


朝練後の定点観測

そういった環境のお陰様で、秩父宮杯エリートでは6位入賞する事が出来た。圏内ギリギリではあるが、これまでの自分から脱却できてきた証に思えた。出場するからには優勝を目標としていたが、本当に嬉しかった。
ツール・ド・おきなわ出場を決めたのもこのあたり。どこまで通用するか挑戦してみたかった。


②9月〜10月
宮杯を終えてから好調が続いた。2-3分のインターバルトレーニングを中心に積み重ね、5分間450wも安定して踏み抜けるようにもなる。体重は69.0〜71.5kgあたりを推移していた。筋グリコーゲンが枯渇すると共に体水分は失われていくので、体重増減には特に気を配らず減りすぎないように食事量・内容を調整するくらいだった。
しかし、ウェット路面での落車が続き、9月中旬と10月初旬は強制的にレスト期間となった。10月中旬は怪我の影響で1週間半はまともに実走することが出来ずにローラーでのメニューを中心にトレーニングを積んだが、案外これがハマった気がする。主にカーソンで疲労させてからゴルビーや2by2で乳酸性閾値で疲労した上でvo2maxを刺激するかたちをとっていった。


落車によりシートチューブも破損。RS9は当分使用不可になる。



③10月中旬〜11月初旬
あるキッカケから湾岸のTMRさんからコンタクトをとってもらい、TD55に定期参加させて貰えるようになった。元々サラ足でのピークパワーにはあまり意味を見出していないが、疲労した上でどれだけ踏めるか、勝負所までどれだけ足を残すことが出来るかを鍛える事ができた。
ソロ練でも荒サイで乳酸性閾値を刺激し、山間部に入ってから休憩を挟むことなく20分340〜360w1本、8分370wと1分650wあたりを何本か入れるのを定期練としてた。


サブバイクのスクルトゥーラをメインへ


この頃になると末梢性の疲労に加えて中枢性疲労の蓄積が著明となってくる。振り返ってみると怪我してからL1〜L2が少なくなってしまっているのも影響してると思われる。それに加え、自分が寒さにとてつもなく弱いのもあった。パフォーマンスは上がっているハズだが、練習会で大事なところで千切れたりソロ練で追い込みきれないことが続く。10/30のTD55最終参加の後、11/2に疲労のピークを迎えて全く踏めなかった。焦る気持ちがあったが、休めば必ず強くなる、沖縄に行けば凍えて踏めなくなることは無いと信じて大幅にレスト期間を設けた。乗ったとしてもロングのL1〜L2を中心に、3分までのvo2maxだけにした。


現地入り〜当日編へ続く。

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