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そりゃ、あるある?

中学3年生の頃から白髪がちらほらと出てきて、それが少しショックでした。それは若白髪と呼ばれるものでした。遺伝的な原因があると考えましたが、両親には白髪はなく、祖父母にはありましたが、極端に目立つものではありませんでした。

高校、大学と進学するにつれ、私の白髪は増えていきました。毛根のギリギリの部分をハサミで切ったり、ピンセットで抜いたりして適当に処理をしていましたが、社会人になるとそういった誤魔化しは利かなくなりました。それでも私はすっかり開き直り、「中学生の頃からある若白髪ですよ」と答えるようになっていました。驚くべきことですが、私は30代前半の時点で、おそらく3分の1は白髪でした。ロックミュージックが好きな私は、奇抜な髪型で誤魔化したりしていましたが、それでも白髪は目立っていたでしょう。

もう一つ気になっていたのは、私が実際の年齢よりも5歳以上も年上に見られていたことです。30代前半が若いと言えるかどうかは分かりませんが、それでも、私はそれが悩みでした。しかし、髪を染めることは考えられませんでした。美容室で長時間かけて染めることは、貴重な時間を浪費することであり、「働き方改革」なんて言葉がなかった当時、私は締切に追われるクリエイターの宿命であったため、徹夜で働くことが当たり前でした。そのような状況の元では、時間を染髪に費やすことは時間の無駄だとしか思っていませんでした。

ある日、子供が3歳になったことで、七五三用にと夫婦と子供で写真館に行くことにしました。そこで衣装を選ぶ最中に、結婚式を行なっていない人向けのブライダル写真を発見しました。私達夫婦は、友人たちを招いて貸し切りのレストランで行われたシンプルな式だけだったので、「何を今更」と思いましたが、妻は感激し、「こんなに色々とバリエーションがあり綺麗にまとめてくれるんだ」と、些か興奮していました。この写真を見て、見積もりを取って撮影予約をすることにしました。そりゃそうなります。

後から見返して懐かしむために写真を残すことに甚だ疑問を感じましたが、せっかくなので髪を染めることに決めました。初めての白髪染めで何を買っていいか分からなかったので、ビゲンのクリームトーンを選びました。撮影日前日まで面倒だと思っていましたが、実際にやってみると簡単にできたので安心しました。鏡を見て自分の変貌ぶりに驚きましたし、妻は白髪のない年相応の髪の色に大喜びしていました。撮影のため、ややこしい髪型からおとなしめの髪型に変えました。

写真集が完成して、妻は大喜びしていましたが、私は若返った気持ちになり、また役員会議でも随分と派手さが薄まり、浮いた存在にならなくなりました。もっと早く白髪染めをすべきだったと後悔しました。そして、後悔はこれだけではありませんでした。わりかし重大な問題が発生したのです。私はバンドをやっておりましたが、白髪染めをしたことで、すっかり年相応且つダンディに落ち着いた気がして、勝手に作曲の方向性を変えようとしてしまい、バンドあるあるの解散危機が発生してしまいました。

「髪を黒にしたからって、何で方向性が変わるんだよ!」
「あぁ、そんなに怒ってばかりだとストレスで白髪がで出ちゃうよ」
「今、ストレス中なんだよ!」
「そりゃ問題だね」
「お前がだよ!」などとヴォーカルである彼の怒声が響いていましたから。

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