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"悲劇の航海"で出会った女神

アメリカ 坂田 朗子(会社員)

皆さんは『ウ●チ・クルーズ』をご存じだろうか? 

2013年2月7日から2月11日の4泊5日の日程の予定だった、アメリカ・テキサス州ガルベストン発着のクルーズ船『カーニバル・トライアンフ』の事を指す。
このクルーズは、4日目の2月10日の早朝にエンジンルームから出火して、自力走行不可となり、楽しかったクルーズは一転、そこから丸4日間(ほぼ5日間)メキシコ湾を漂流したのだった。(https://www.cnn.co.jp/world/35028227.html

2月14日夜にようやくアラバマ州・モビールに着岸、そのままバスで3時間、ニューオーリンズのヒルトンホテルにバスで連れていかれた。ホテルに着いたのは、2月15日早朝(午前3時頃)。私が日本の自宅に帰りついたのは、予定より4日遅れの2月17日夜だった。

『ウ●チ・クルーズ』と呼ばれる理由は、クルーズ船の自力走行ができなくなった時から、電気、水道などが全て使用できなくなったため、トイレでウ●チが流れないハプニングが起きたり、ウ●チをする時は、ごみ箱にビニール袋を広げ、その中にして、廊下にそのビニールを出したりしたからである。

ちなみに、私は、アメリカの短大の同窓会で乗っていたのだが、在ヒューストン日本国総領事館によると、このクルーズには、日本人は私を含め2人しか乗っていなかったらしい。(もう一人はどんな方だったのだろうか?)

▼短大の同級生。仲良し三人組。漂流前日のメキシコ、コズメルでのツアーにて。

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カーニバル・トライアンフの快適なクルーズから一転、ウ●チ・クルーズになってから、電気が一切使えなくなったり、1階と2階の人たち(一緒に同窓会に参加した人たちもいた)は屋上に強制的に避難させられていたりした。屋上に避難した人たちは、なんとそれぞれのシーツでテントを作っていた。私は運良くダンスフロアの上のフロアだったので避難は逃れたが、予約していたマッサージを含む、全ての行事がすっ飛んだ。そして、内側の窓なしの部屋だった私たちは、自分の部屋にいると空気が悪いし、光も入らないし、本当に最悪な事態だった。

そんな私たちを救ってくれたのが、窓あり・バルコニーありの部屋に泊まっていたおばちゃん二人!なぜ、そんな二人と出会う事になったかと言うと、漂流の二日前、私と一緒に乗っていた大親友が朝食を食べに行く時にたまたまエレベーターで一緒になり、友達になっていたから!そして、彼女たちは、窓なしの内側の部屋に滞在している私たちを不憫に思って、彼女たちの部屋のソファやバルコニーのシェーズロングをベットとして提供してくれたのだ。

▼シーツテント

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そのため、私たちは、屋上でシーツテントで寝ている人がいる中、おばちゃんたちの部屋のソファとシェーズロングで寝させてもらうことができた。それから漂流中、パスポートと携帯電話だけをショートパンツのポケットに入れて、おばちゃんたちの部屋で多くの時間を過ごした。そのおかげで朝日と共に目を覚まし、日が沈むと寝るという生活ができた。(時には、シーツにHELP!メッセージを書いたり、タグボートの人たちに声援を送っていた。)

▼この写真の下のシーツがお世話になったおばちゃんたちの部屋で、私もそこで手をふっている。

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おばちゃんたちの部屋にお世話になってから4日が過ぎた2月14日の夜遅く、カーニバル・トライアンフはやっとのことでアメリカ、アラバマ州モビールに到着し、そこから3時間バスで移動して、2月15日早朝(午前3時ぐらい)ニューオーリンズのヒルトンホテルに到着し、航空券の再手配などの帰宅に向けた手続きをとった。

どのタイミングで交換したのかは忘れたけど、この時のおばちゃん2人とは、フェイスブックを交換し、連絡を取り合う仲になっていた。

時は経ち、2014年10月から1年の専門留学をしていた私は、2015年4月、このおばちゃんたちのいるテキサス州を訪れた。アメリカで5年間(2002年から2007年)生活していた時には接点すらなかったテキサス州に、このような形で出会った人たちに会うために行く日が来るとは、ウ●チ・クルーズに乗る時には、思いもしなかった。

▼おばちゃんたちとの再会。

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私には女神さまにしか見えないような出会いから、私を未知の世界、テキサス州へと導いてくれたおばちゃん二人。そんな二人を忘れることはなく、今でも連絡を取り合っている。


ウ●チ・クルーズの記事。
https://www.cnn.co.jp/world/35028227.html

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