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「着飾る恋には理由があって」

特別が特別ではなくなったその日に

価格の高い「はしり」よりも、「さかり」の素材を使う。
前者は高級な珍しいものだ。一方、後者は料理をするのに手間がかかるけれど、ちゃんと仕込みをすればおいしく食べられる素材だ。

※久々に真面目にコーヒーのことを自分なりに書いている。
記事です。

また、『着飾る恋には理由があって』のドラマには全く関係のない内容なので、
ネタバレは全く含みません。

「コーヒー好き」のモノに「コーヒー」をしているから、
とても醜い。
「コーヒー好き」には可能性が乏しい。

「コーヒーに興味がないひと」に可能性がある。
「コーヒー好き」だからといって、「抽出」や「焙煎」をはじめとした「技術」や「能力」が高いわけではない。
「前者」は誰にでも可能性があるし、「後者」の多くはきっと埋もれており、発掘されずに終わることが多分にあるのだ。

「コーヒー」を例えにあげただけで、「コーヒー」に限った話ではないのだ。

↑のようなアカウントで「良いと思ったもの」だけアップしたり、
コーヒーキュレーションしている人の記事です。

スペシャルティが"特別"ではなくなったその日に

スペシャルティコーヒーが"特別(スペシャルティ)"ではなくなりつつある。
スペシャルティコーヒー定義等はググってください。

コモディティやコマーシャルがまだ主要ラインナップであることは一般市場において当然のことで、この先も変わることがないと思う。

スペシャルティコーヒーの台頭で
コモディティやコマーシャルが恩恵を確実に受けている。
ハイコマーシャルと呼ばれる、スペシャルティに届かないが、
従来のコモディティ、コマーシャルに比べるとハイクオリティのモノが出回っているし、
新型コロナ禍でスペシャルティの流通に乗れないものがコマーシャル、コモディティ(ハイコマーシャル)として流通し得ることも容易に想像ができる。

しかし、そういうはなしではない。
チマタにコーヒー専門店、専売店が氾濫し、
多くの自家焙煎店が、マイクロロースター、ナノロースターと銘打って「スペシャルティ」を販売している。

「カッパー」や「バイヤー」が「スペシャルティ」と評価したものを焙煎し、時には抽出をして販売している。
「ひとの手」を介することでいかようにもなってしまう。

多くが「プロダクトクオリティ」で"スペシャルティ"でないことも然り、"トップスペシャルティ"や"トップオブトップ"を「スペシャルティ」の枠内に保持して販売していることが多い。

このような事象は、
ボクがお客様(素人や初心者)に「良い品質のコーヒーを買ってください、そうすれば"おいしい"の近道です。」と言っているのと何ら変わりがない。

素人の延長線上が昨今とても多い。

もうひとつのスペシャルティが"特別"ではなくなったその日に

もうひとつのスペシャルティが"特別"ではなくなったその日に
実はその繰り返しなのだ。

コモディティ、コマーシャルに対してのスペシャルティコーヒー、
パカマラやブルボンにはじまりゲイシャ種、
今現在は特殊精製のフェイズである。

今現在の特殊精製のフェイズ以前は、
特別では無くなりつつある。

価格の高い「はしり」よりも、「さかり」の素材を使う。
前者は高級な珍しいものだ。一方、後者は料理をするのに手間がかかるけれど、ちゃんと仕込みをすればおいしく食べられる素材だ。

「はしり」は時代の流れで「さかり」なり変わるし、
なりつつある。
「はしり」の"スペシャルティコーヒー"は「さかり」になりつつある。

少なからず、ボクには「さかり」であるし、
「スペシャルティコーヒー」が「さかり」であるからコーヒー淹れ、飲む。

「はしり」がゲイシャや◯◯ファーメンテーションなどになっている。
この「はしり」は嗜好性が高く、「日常品」にはきっとならない。
あくまでも「ハレ」のコーヒーであって、「ケ」のコーヒーではない。
「スペシャルティコーヒー」中心としたハイクオリティのコーヒーが「ケ」のコーヒーになりつつある。

しかし、"あくまでも"なりつつあるとしたのには理由がある。

「着飾る恋には理由があって」

『着飾る恋には理由があって』このドラマは観ていない。笑
「ハレ」のコーヒーは着飾ることと言い換えられる。
「ケ」のコーヒーはひとそれ違うし、
ひとによっては「おいしくない、品質の伴わない」コーヒーが「ケ」のコーヒーなのだ。
「ブルーマウンテン」や「モカ」、「キリマンジャロ」が「"ハレ"」のコーヒーであったりもする。

多くの人がコーヒーにおいしさを求めていない。
「おいしい」とそもそも思っていない、
おいしくない/ニガイものを無理やり飲んでいたり
「好み」と錯覚していたり、さらに言うと「好み」と「おいしい」を履き違えているのだ。

(あくまでもスペシャルティコーヒーの定義上かもしれないが)おいしいの定義や物差しはある。
多くの人が知らないし、理解はさらにしていない。
"コーヒー好き"であっても。
さらに言うと"コーヒー好き"であればなおさらだ。

"コーヒー好き"は自分の『好き』が絶対的正義で、「推ししか勝たん」なのだ。

「ハコ推し」としては共通項があっても、
多くの「推し」が相容れず。
さらに言うと"正義観"の押し付け合い。
そして「マウンティング」だ。

「コーヒー好き」のモノに「コーヒー」をしているから、
とても醜い。
「コーヒー好き」には可能性が乏しい。

「コーヒーに興味がないひと」に可能性がある。
「コーヒー好き」だからといって、「抽出」や「焙煎」をはじめとした「技術」や「能力」が高いわけではない。
「前者」は誰にでも可能性があるし、「後者」の多くはきっと埋もれており、発掘されずに終わることが多分にあるのだ。

「コーヒー」を例えにあげただけで、「コーヒー」に限った話ではないのである。

大事なことだから、2度言った。
テストに出るかはわからない。

この話はこんなところで

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この記事は仕事用アカウントにて一度書いた記事を多少推敲して
個人アカウントにてあげ直した内容です。

PLANETS School「2021年に体験したことを素材に、書く」
という課題文になります。

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