見出し画像

常連客に居心地がよいと一見さんが心地よくないと言う問題。

常連客に居心地がよいと一見さんが心地よくないと言う問題。

常連客に居心地がよいと一見さんが心地よくないと言う問題。

本来この話は仕事の方のアカウントに書いてもよいのだが、
こちらに記そうと思う。

ボクは店頭に立つ経験もあるし、
客として感じることが多い。いや、"とても"多い。

今回はカフェ(喫茶店)やコーヒーショップにフォーカスして書くが、
飲食店に多い問題で、カフェやコーヒーショップにおいては顕著である。
(あとはボクは行かないし行ったことがないのだがスナックも同様なコトが言えると思う。)

商品以上にもしくは商品と共に空間が商い(飽きない)の源泉になっている。

商品以上にもしくは商品と共に空間が商い(飽きない)の源泉になっている。

飲食店は基本的に飲食物が商品である。
飲食物が商品と言う意識の解離が、
お店や従業員側とお客さんとの間で大きいか否かでこの問題は視ていくことが出来る。
レストランはじめとした飲食物が商品として認知されているお店は『常連さん』問題は起こりにくい。

接客(ホスピタリティーとパーソナリティー)や店内空間(内装や雰囲気)は本来あくまでも付加価値であるが
カフェ(喫茶店)やコーヒーショップなど、滞在時の快適性が商品に昇華しなくとも、お店の選択の重要なウェイトを占める。

飲食物が商品として認知されているお店はそうではないわけではないが、
ウェイトは正直高くならないのだ。

商品価値が高くないお店の方が店内環境の影響を受けやすい。

この国では特に、喫茶店やカフェは空間提供やコミュニティが商財/財源の趣が強い。
コーヒー一杯が席代/場所代となり、そうなれば自動的に店内環境に商品価値を求めざるおえないのだ。

ここには根深い問題があり、根深い以上に根腐れしているので大変な課題である。

カフェや喫茶店は上記の様相が強く逆に問題とは言い難くなる。
しかし、コーヒーショップとなれば別の話である。

コーヒーショップはコーヒーのショップと言えるのか。

コーヒーショップはコーヒーのショップではない。
現状、カフェや喫茶店の延長にあり、
空間や店内環境、スタッフが商財となりうる。

現在、ToGo(テイクアウト)や豆売りにコロナ禍のお陰で、
スライドしている部分はあるが、
コーヒーのショップではない。まだまだコーヒーのショップになっていない。

こう書くと悪く聞こえ、受け取られてしまうが、
顧客にとっては悪いことではない。
お客さんには選ぶ自由がある。

対してお店は選ぶ自由が無いと"言いがち"だ。

事実であるが、真実ではない。

コーヒーショップの事実と真実。

萌えや映えに乗り集客をする。せざるおえない事実。
おいしいだけでは集客しずらく、そもそもおいしいは伝わりづらい。
むしろ、伝わっていない。

選ばれる理由はおいしいかどうかではなく、好みかどうかなのだ。

しかも、コーヒーが好みかどうかのウェイトはお店が思っている以上に高くなく、低い。
お店の店内環境、雰囲気、スタッフ、スタッフの雰囲気/対応が好みかどうかの方が重要。
このお店、このひとのコーヒーであることが(多少)重要なのだ。

コーヒーショップはコーヒーの価値提供が出来ていない(場合が多く)。
お客さんはコーヒーの価値提供を求めていない(場合が多い)。

(何故)コーヒーの価値提供が出来ていなく、求められていないのか

コーヒーを用いた価値の創造や提供が多くのコーヒーショップやバリスタ/ロースターに求められているが、その多くが出来ていない。
さらに言えば、
その能力がない。それ以上にそうしていないのである。

お客さんがその体験/経験をしていない以上、
求められないし、求めていないのである。

幸い(と本来は言えないのであるが)、お客さんが知らないので求められていないから、
現行の"(多くの"自称")バリスタや(多くの"自称")ロースター"が現状生業に出来、商い出来ているのだ。
だから、現状を問題としないし、危機感もない。

本来のバリスタがやるべきことを放置しているのだ。

だからこそ、相当の覚悟と信念をもち
この問題や危機感に対峙すればチャンスがあるが
とても険しい道程である。

まずは本題に戻る。

何故、常連客に居心地がよいと一見さんが心地よくないと言う問題が生じるのか

何故、常連客に居心地がよいと一見さんが心地よくないと言う問題が生じるのか

上記の事象や問題を提起したことにより、
見えてきたこととまだ見えていないことがあります。

この問題は"お店側"と"お客さん側"それぞれ問題と課題があり、
しかもそれぞれに「常連客」と「一見さん」という事象で問題があるのです。
もしかしたら4象限の図に整理すると理解しやすくなるかもしれません。

まずは「お店側かつ常連客」に関する事象です。Ⓐ
噛み砕いていうと、お店側の常連客対応/応対のはなしです。

お店としては、
ご贔屓に優先したいですし、
フレンドリー/フランクに応対/対応します。

その事により常連客はうれしさを感じ、
状況によっては特別感、優越感へと昇華することでしょう。

お店側も馴染みのお客さんには特別な感情を抱き
特別感を生むと思います。

今度は「お客さん側で常連客」に関する事象Ⓑ
お客さん側の常連客としての立場/姿勢です。

上の事象での重複点はもちろんあり、
特別感、優越感を感じた(一部の)お客さんはそのコミュニティにおいての特権階級やカーストの上位であると勘違いする。勘違いしている場合(お店が勘違いさせている場合)傲慢になる。
一方、自分はいつでも来れるからとお店やお客さん(特に一見さん)に気を遣える方もいる。
やさしさを超え、お節介が過ぎるとお店を(大小あるが)手伝いはじめる笑

次は「お店側で一見さん」に関する事象ⓒ
お店側の一見さん対応/応対のはなし

一見さんと共にもしくはそれ以上に気を遣い、
コミュニケーションをはかる。若干神経質になる場合もあり、
お店やスタッフによっては、常連客より冷たく対処する場合も伺える。
一見さんのパーソナリティーや好みがわからないので適切なコミュニケーションが大事になる。
常連客になってもらい定期的に来店してもらえるように努める。

一方、最後になるが
「お客さん側で一見さん」に関する事象Ⓓ
お客さん側の一見さんとしての立場/姿勢

はじめてのお店なので勝手がわからない。
お店の雰囲気、スタッフの雰囲気/パーソナリティー、距離感スタンスがわからない。
商品、店内環境etc.が好みかどうかわからない。
そもそも敷居を高く感じる瞬間すらある。
極論、興味がない/来店動機がない場合すらあるのである。

ここに書き上げたことは(一部の)事実であるが、真実ではないのだ。

もともこもないはなしをすれば、
上記はほんの一例に過ぎず、それ以上に個々のパーソナリティー、お店のスタンスやあり方の問題で様相が大きく変わってしまうのだ。

どういうことかと言うと
「常連客」「一見さん」のフィルタリングがそもそも要らず、
万人に対して同じ様な応対、
区別はあるかもしれないが、差別をしない/差別はしない。
※差別と区別の違いに関してはここでは割愛する。

万人に対して同じ様な応対に関してあくまでもあくまでも個人的意見を記す。
ボクは客と従業員、客とお店は上下関係ではないと思っている。
もちろん主従関係ではない。
対等な関係。(正確には)金銭を介し商品及びサービスを提供する関係でそれにおいて対等であると思っている。

難しいのはサービスが共通認識でない場合でその場合が大変多いと言うことである。この点は後で掘り下げて記述する。

ボクの万人に対して同じ様な応対とは、
客の態度を鏡のように返すということだ。
へりくだらないし、尊敬をもっていただければ尊敬をそのまま(それ以上に)返す。
そこにはボクが(接客者/接客業を行うにおいて重大な)欠陥人間であるという前提条件は加えておこう。

一流の接客業従事者はこれに限ったことでないし、聖人がとても多い。

接客者として欠落しているからこそ、
(基本的には)客として最低限"普通もしくは悪くない"客であれるよう心掛けている。

万人に対して同じ様な応対/対応をすると"常連"の特別感、特権感、優越感はない。むしろ要らないし、そこを求めるような客はいらないとすら、個人的には思う。
出来ているかどうかは別としてそもそももともと"面倒な客"である一見さんに労力を努め常連さんに昇華したい。
「常連さん」は特別感が無くても来店してくれるし、敬意を僕らやお店に持ってくれる。"特別感"は「常連さん」のなかにはあるのかもしれない。
逆に敬意を感じたから「常連さん」になってくれているし、
「常連」であることを誇示しないし、まったく"特別"なことでないのだ。
「特別」でないから心地よく、"特別"なのである。

ちょっと話がずれるが、一見さんであったときに、
仲が良いことは否定をしないし悪くないが、
コミュニケーションではなく、スタッフ同士の会話や特定のお客さんとの会話ばかり盛り上がる店は居心地が(個人的に)悪い。

お客さんのニーズはひとそれぞれなので本当にお店はむずかしい。

結局のところ、フィルターやバイアスをかけているのが双方の人間ひとりひとりなのである。

その上、様々な問題が山積し混雑している。

サービスが共通認識になっていない

サービス
英語:service

誰かのために何かを行うこと、他者の助けになること。無形の財や価値あるいは労役などを提供すること。奉仕。用役。尽力。提供。

サービス(service)は英語に由来する語であり、動詞 serve の名詞形、語源を辿ると slave(奴隷)と同源のラテン語に行き着く。英語辞書における定義は、例えばオックスフォード英語辞書では「 The action of helping or doing work for someone. 」(誰かの手助けをしたり誰かのために仕事をしたりするという行為)という記述が筆頭に挙げられている。

サービスは有形ではなく無形のものです。
さらにこの国では無償提供にサービスと提示し提供されるものが多く、
無料(タダ)であると誤解をうみ、勘違いされています。

コーヒーショップにフォーカスすると
空間提供、接客がサービスにあたるとあげることが出来るでしょう。
そしてそのサービスが有償/無償なのかも含めて共通認識なされていないのです。
多くの飲食店は売価に場所代(この場合は席代の意味ではなく店舗の家賃)を乗せ設定している場合が多いでしょう。
しかし、そこの場所の空間的価値を上乗せしているわけではありません。
(ホテルや高級レストランはこれに限らない。)
しかし当初記述したように、
お客さん側としてはコーヒー1杯の代金ではなく、
コーヒー1杯によってその場を楽しむ(その場に居る)代金という考えが色濃いでしょう。
逆に言うと1杯のコーヒーの価値提供が多くの店でなされていないという事実です。
しかし、コーヒーショップであるがゆえに、正確には『スペシャルティコーヒーショップ』(特別なコーヒーショップ)であるがゆえに、
一杯のコーヒーの価値提供をしていると錯覚や勘違いしている場合が多いのです。
ちゃんと一杯のコーヒーを通じたコーヒー体験を提供するお店もあるが
※一杯のコーヒーを通じたコーヒー体験≠スターバックスエクスペリエンス
この※注釈は改めて書こうと思う。w

この錯覚や勘違いとお客さんの認識の齟齬がサービスが共通認識になっていない元凶であり答え。

わかりやすく言うと
特別なコーヒーショップはコーヒーの価値を価格に提示し商品として提供する。あくまでも代金はコーヒー代。
一方、お客さんは(イートイン/店内利用の際)席代及びそのお店で過ごす代金として支払いをし、コーヒー以上に店内環境/居心地を大事にしそこにお金を払っている。(コーヒーが好みであればラッキーなのである。)

その齟齬がひとつの居心地のよさ/わるさ顕在化させる要因と言える。
その齟齬がコミュニティ形成や雰囲気をつくっているといっても過言ではないだろう。

特別なコーヒーショップと"自称"な方々をdisる。

最近 #Clubhouse の話題が多くなってしまうのであるが、
キラキラしている意識高い系なCoffeeWorkerがとても多い。

ここから先は

625字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

気にいていただいたり、興味を持っていただいたり、いいなと思っていただけたらサポートいただけると大変嬉しいです。 サスティナブルなコーヒーワークの実現に役立てます!