いそん。
ひとはなにかにや、なにかしらに依存して生きている。
生きるために依存するのか、依存するために生きるのかはひとそれぞれである。
「依存」とは、他人や組織、モノに愛情や支持、保護、援助を求め、それがなくては生きていけない状態であり、行為や思考のコントロール障害といわれています。自分ではやめられなくなり、精神医学の立場から病気と認められているものを「依存症」といいます。
なんか依存ってわるいことにみえる。
よい依存
⇒主体性のある人間として、相手を尊重しながらお互いに支え合い、助け合う。相手と 程よい間合いが、よい依存で認められる。
悪い依存
⇒自分が安心や満足を得られないために、常に相手に
しがみついたり、相手を支配・束縛しようとする。
依存には人への依存、プロセスへの依存、物質への依存の3種類がある。
2つ3つと複数の依存が合併する場合もあり、クロスアディクションと呼ばれる。
誰かに(主体性のある)人間として、相手を尊重しながらお互いに支えあう、助け合う、ほどよい間合い/距離感が保てていればよい関係性であるし、それはある種の「自立/自律」と言える。
そうした状況/状態をつくれているか、そうでないかが、
つくることより判断が依存は大事なのかもしれない。
自立
他に頼らず独り立ちすること
仕事における自立
経済面での自立
精神的な自立
身体的自立
の4つが具体的な自立である。
詳しくは掘り下げない。
自立の対義語に依存があげられるが、
ボク(個人)的には自立の中に"よい"依存は含まれるものという認識で、ある種の表裏一体だと思う。
自律
自分自身で定めたルールに従って行動すること
自分で考えて自身をコントロールできること
自分の意志をしっかりと持って、自ら定めたルールに従って行動を選択できる状態
自律の対義語の「他律」は
他からの強制や命令で行動すること指し、
ある意味"悪い"依存とも言える。
依存そのものが悪いのではなく、
依存の状況/状態、そしてその認識が重要なのだ。
この話はこんなところで
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