真っ青な青を作る人

Twitterをやめようかなという気分になってまして。
というのも、Twitterって無くても生活できるなって思い始めたからなんですけどね。
最近のTwitterってあれじゃないですか、なんか大喜利大会みたいじゃないですか。気の利いたこと言ったら勝ち、バズったら勝ちみたいな。
そこまで承認欲求も無いですし、今更注目されたりチヤホヤされたくもないですし
また自分らしくコールタールの空に戻ろうかなと思います。
ただ、世の中の動きは知りたいので見てはいます。あと告知はしようと思います。
なので今後は告知おじさんと化します。
ちなみに今のところ告知するような予定も無いので、ただの寡黙なおじさんです。
これからも寡黙なオカルトおじさんをどうぞよろしく。

閑話休題

この頃死んだ父親のことを思い出すんですが、私の父親ってほんとクソ真面目で誠実さの塊だったんですよ。
嘘をつかれた事とか裏切られたことなんて皆無ですし、もちろん言い争いや喧嘩をしたことなんてありません。
それは私に対してだけでなく周りの人に対しても同じで、誰にも嘘をつかないし常に誠実で、悪い話を聞いたことがないんですね。
それを見て育った私ですから、その真っ直ぐな誠実さに憧れて今があるわけです。
私もね。やっぱりクソ真面目なんですよね。確実に親父の影響です。
曲がった事が本当に嫌いで、間違ったことには「間違ってるよ」って言いたくなってしまうんですよね。
信号だってきっちり守ってしまうし、ルールがあればそれにちゃんと沿った行動をしてししまいますし、許せない事があればやっぱり許せないって思ってしまうんです。
生きていく上ではね、心にある程度の遊びというか、隙間というか、ゆとりがある方が絶対に楽なんですよ。みんなハッピーでしょうし。
何もかも知らないふりをして自分を我慢して、騙されたフリをして誤魔化して、見て見ぬ振りして生きていけたら本当は凄く楽なんですよ。分かってるんです。
でも出来ないんですよね、良くも悪くも。それのおかげで残念な日々を送ってます。申し訳ない毎日です。
信号無視すれば一本早い電車に乗れたかもしれないし、あの時一緒になって笑っていればアイツとはまだ仲良く過ごしてたかもしれないし、あの時嫌々でも頭を下げておけばタイアップが取れたかもしれないし、あの時黙って見過ごしてれば喧嘩なんてしなかったかもしれない。

でも、逆に言うと悲しんでたり落ち込んでたり、一人ぼっちの人もほっとけないんですよね。
見て見ぬ振りが苦手。見てしまったから、知ってしまったから、なんとかしたい。
一人で塞ぎ込んでる人にはついつい声をかけてしまう。そこには利害関係とかは無くて、単純に聞いてあげることで何かの気づきになればいいなと思ってるだけで。
困っていれば助けてあげたいし、会って話してみたいなと思えば会うし、良いなと思ったら褒めたいし、好きだなって思ったら好きだよって言ってしまう。

そんな私はよく怒ります。でも相手に直接は怒れないんですよね。傷つけられたからといって、相手も同じように傷つけようと思えないんですね。
私の場合、相手にも誰にも気付かれないように、ひたすら自分の中で怒って、怒って怒って怒り尽くしたあとに、相手のことを認めるようにしてます。
私が怒ったり悲しんだり悔しかったりするにはちゃんと理由があるのと同じように
怒らせたり悲しませたりする側にもちゃんと理由があるはずなので、そこを理解しようとします。
理由と理由のベクトルに乖離があるから衝突してしまうのであって、そこに罪はないと言うことを知っているので。

改めて、父親が持ってた誠実さってなんだったんだろう。
誠実と言う言葉を調べたところ、「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。」とありました。
私はやはり父親のように誠実でありたいなと思ってるんです。今はまだまだその域に達してないですが。でも、自分の信念という一本の道をぶれずに進みたい。それが側から見たら不器用で鈍臭くて遠回りになっていたとしてもです。
やっぱり自分はずるい生き方はしたくないんですよ。ずるいヤツが得をする、利益を得る、勝った方が強い、強い方の言う事が正しい。それはそうかもしれないです。
でも私は自分が決めた正しさで歩いて、歩いて歩いて、歩ききった時にパッと振り返って見えた足跡が綺麗な一本道になっているような、そんな誠実さを持って生きていきたいです。
私だって人間なので、時にはずるい事もしてしまいます。でもそのズルさの先にケジメを持っていたいと思ってます。
今はズルい行為や言動であっても、そこに責任を持って向かい合い、いつか誠実さのもとにクリアにしていきたいです。

人生ってドラマみたいに脚本通りうまくいくことばかりではないです。いくら綿密なスケジュールを組んだとしても不可抗力には敵いません。でもそこに誠実さがあれば、私は幸せに変えられるなと思ってるんです。
例えば時間に間に合わず日の入りが見れなかったとしても、日の入りが見れなかったという景色を見る事が出来たのであれば、それはとてもかけがえの無いことなんだと私は思うわけです。

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