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最近実は勉強というものをはじめまして。40歳手前にして新しいことを学ぶということはとても新鮮で楽しいわけです。

しかもこれまで全く触れてこなかった分野の勉強なので、一年生になった気分を味わってます。

チャンスがあれば皆さんも是非、新しいことの勉強にチャレンジしてみてください。大人になってからの勉強、むちゃくちゃ楽しいのでお勧めです。

閑話休題

また空前のSNSがうるさいな病にかかってまして、Twitterの更新頻度を減らしています。

Twitterを開く機会も減ってますので、リアルタイムでのニュース的なもののアンテナは少し弱まってますが、まぁ生きる上で何の問題も無いですし時間の流れがゆっくりに感じれて幸せです。

最近の吉岡ですけども、またゲームをやってます。

みんなもう桃鉄やめたでしょ?飽きちゃったでしょ?それで良いんです。きっとそれが普通。

私の場合もいつものメンバーで桃鉄をやってましたが、半年以上かけて99年達成したことを機にプレイするゲームソフトを変更しまして現在はドカポンをプレイしています。

ドカポンは、RPGの要素を含んだすごろくゲームで、ドラクエと桃鉄を足して2で割ってから喧嘩する要素を1億足したようなゲームです。

それをいつものメンバー(全員が個人輸入でAGA治療薬を購入し、薄毛治療をしている)で悪態を吐きながら進めているわけです。

そこから言えることは、つまり「喋るって楽しいな」ってことです。

喋る相手がいるということ、これほどに幸せなことはないなと感じるわけです。

それも誰一人気を使わずにお互いの思ったことをペラペラと喋り、好きなタイミングで相槌をついて、笑うでも笑わせるでもなく、ずっと自然のまま流れのままにまかせる瞬間

それが本当に幸せで、究極の娯楽なんだなと感じたわけです。

相手が黙ってるからと言って「怒ってるのかな?」なんてこと思うわけもなく、黙っていることですら会話の一つに感じるのは、もはやテレパシーにも似たものかもしれません。

黙っててもわかる。抱き合うだけでわかる。目が合うだけでわかる。触れただけでわかる。なんて感覚、20代の頃なんて全く信じてなかったですけどね

そういうテレパス的なコミュニケーション、今なら本当にあるんじゃない?って思えますね。

人間なんて究極的に考えると会話をはじめとした声を出すコミュニケーションなんて必要ないのかもしれません。それこそ今のコロナ禍は、その能力を引き出すための試練なのかも。

しゃべらずにライブを見て、しゃべらずに映画を見て、しゃべらずに仕事して、しゃべらずに食事する。しゃべらないからこそ、相手の目や、仕草や、全身から醸し出す雰囲気から、本音を読み取る力が身につき始めてるのかもしれせん。

いつか人間から口がなくなって、テレパシーのみで会話する時代が、、なんてオカルトめいたこと言うわけじゃないですが、それくらい人間がバージョンアップすることも面白いよねと言う話です。

あ、でも喘ぎ声がないセックスは物足りないのでやっぱり声は必要だと思いますね。

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