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顔触るふりして指についた匂い嗅ぐ行為に名前をつけるなら、それはありがとう

なぜ男は女性のおっぱいを吸いたくなるのか。そのメカニズムがすこし分かった気がするのでここにまとめたいと思います。

改めて説明するまでも無いですが「おっぱい」とは女性の胸にある乳房のことです。
語源は諸説あるそうですが、はっきりしたことは未だわかっていないらしいです。

はっきりわかっていないのであれば、ここで憶測の登場です。

日本語にとっての「お」は「御」であり、尊敬する他人に対して使用する言葉ということ。つまり、おっぱいは尊敬に値するということがわかります。

「ぱい」はどうでしょう。そもそも日本語にぱいという言葉がないので、何か別の言葉が転じて「ぱい」になったと考えられます。
はい、もしくは、ばい。「ばい」だと、すこし語感が固い気がします。おっぱいは柔らかいものです。では、「はい」でしょうか。
そこで私はピンと光景が浮かびました。女性がつぶやく「はい、どうぞ」の声。その「はい」ではないでしょうか。

「御、はい」。本来、御は他の名詞などの頭につけて使用するものですが、おっぱいはおっぱい自体が尊敬に値するため、「御」そのものがおっぱいという考え。その「御」を「はい(どうぞ)」と差し出す様子はまさに神の御加護を表しているのではないでしょうか。

そして、「おっぱい」の「っ」は弾む心を表しているんだと思います。スキップしてる気分に近いです。

そんな心弾む神の御加護こと「おっぱい」。なぜこんなにも吸いたくなるのでしょうか。

吸いたくなる。や、飲みたくなる。など
それは自分の欲求に結びついている行動です。
特に空腹時には美味しいものを食べたい、とか
喉が渇いた時は冷たいものを飲みたいであるとか、そういう行動と同列にあるのが「吸いたい」であると思います。

しかし、食べ物や飲み物と違い「おっぱい」を吸うことで自分の血や肉になるわけではありません。食欲が満たされるわけでもないわけです。

では、性欲が「吸わせている」のでしょうか。私はそうは思いません。おっぱいを吸うだけでは性欲が満たされることなんてないからです。もしも、おっぱいを吸うだけで満足できるのであれば、この世の中の男女は全員バージンのまま死を迎えます。

では、何が私を「おっぱい」に向かわせているのでしょうか。

結論から申し上げますと、それは「愛」です。

おっぱいを吸っても味はしません。
多少の塩気はあるかもしれません。
おっぱいを吸っても空腹は満たされません。
おっぱいを吸っても自分の体に変化はありません。

つまり、おっぱいをどれだけ吸っても自分にとっては何ら変化はないのです。
では、なぜそれを知りながらも吸うのか。

女性を喜ばせたいから。それのみです。
当たり前でしょ、と言われたらそうなんですが
当たり前だからこそもう一度考えましょう

例えば、女性にとっておっぱいを吸われることがめちゃくちゃ痛いことだとしましょう。
だとすれば、世の男性はおっぱいを吸うことはないでしょう。
あくまでも、吸う理由は自分自身の欲求ではなく、相手の快感にあるわけです。

思い出してください。おっぱいを吸う時、無意識に吸いながら相手の表情見てませんか?それが答えです。喜んでるかどうかを表情の微妙な変化を感じ取りながら、吸って吸って吸い続けてるんです。

おっぱいの吸いかたや、舐めかたをインターネットで調べて、お風呂場で自分の指で練習して、本番に挑んでいるんです。

そして、本番に挑んだ結果、自分の吸い方で相手の表情が恍惚に変わった時、大学入試で自分の番号を見つけたあの時のような達成感を感じるのです。

つまり、「おっぱい」を吸うということは
ただただおっぱいという形に魅了されてわがままに吸っているのではなく
相手を喜ばせるために吸っているのであるということ。

喜ぶから吸う、吸うから喜ぶ。このループが世界を平和に導いているのだと思います。

男性の言う「君のおっぱい吸いたいな」は、「愛してる」に近いと言っても過言ではないと断言いたします。

しかし、女性の汚れたパンティをその女性に睨まれ「変態、、」と罵られながら匂う行為は、この方程式に当てはまらないようなので、まだまだ人間って奥が深いなぁと思うわけです。

引き続き調査いたします。

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