人はマジョリティーを疑わない
どうも!Rくんです!
Rくんの若者が生意気に物事考えてみたシリーズです(-ω-)/
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それでは話していきましょう。
僕には、常日頃から気をつけていることがあります。それは
「マジョリティー(多数)を疑うこと」
僕はまだ人生を19年しか生きてない新米野郎なのですが、そんな僕にも両の手の指を使うだけでは数えきれないほどの「選択」をしてきました。
・中学受験で受かった三校の中からどの高校を選ぶか
・好きになった子に告白するかしないか
・海外の大学にするか日本の大学にするか
この他にも沢山の「選択」を迫られ、そして「決断」してきました。
この「選択」という行動、これは生きていく中で男だろうが女だろうが、日本人だろうが外国人だろうが、どんな人間でも遭遇してしまう不可避の壁のようなものだと僕は考えています。
だからこそ僕はこの「選択」というワードについて一度深く考えることが人生という作品をより輝かせる上で大切であると思う。
しかし、多くの人はこの「選択」という行動をとる際に、深く考えているようで実は大きな「チカラ」によって答えを決められてしまっているのだ。
ではここで言う、大きな「チカラ」とは何か?
それが「マジョリティー(多数)」なのだ。
人は大きな「選択」をする際に必ずといっていいほどに周りの意見を聞こうとする。当然だ。自分の人生を左右するような「選択」をする際に、個人の意見だけで決めることはあまりにも自分を説得する上で判断材料としては不十分だからだ。
だが、ここで多くの人の意見を聞けば聞くほど起こってしまいがちなのが、「先入観」というものだ。
わかりやすくなるように、ここで一つ例を挙げるとしよう。
「僕的にわかりやすいのが、AKB48の中で誰がタイプか?」という質問
ほとんどの方がご存じなようにAKB48は毎年の総選挙と呼ばれるものでメンバーに順位をつけるシステムを導入しているアイドルグループだ。
例えば僕が全くAKB48のメンバーなど知らなくて(順位も知らない)28位くらいの子が(これも順位は知らない)タイプだなと思ったとしよう。
だがその後メンバ―の順位を知り、自分の周りの人間みんなが「一位の前田敦子がやっぱ一番だわ~お前28位の○○好きとかありえないわ~」と話をしている。ここで多くの人は好きだった28位の子(適当な例なので28位の方すみません)がなぜかかわいく見えなくなってくる、前田敦子がめちゃくちゃかわいく見えてくる。こんな現象が起こるだろう。
多くの人がこういう現象に陥ったことがあるのではないだろうか?
だがよーく考えてもらいたい。第一印象では28位の子がいいと思ったんだ。なのに人の意見を聞くと自分までそうなってしまう。これが「マジョリティーの恐ろしさ」だ。
そして永遠の課題であろう「いじめ」この問題にも僕は「マジョリティー」の恐ろしさが多大な影響を及ぼしていると思う。
この世界には顔も違えば、人種も違えば、性格も違う沢山の人間がいます。だから僕は「この人ちょっと生理的に無理だな。。」「この人の性格自分とはあわないな。。」こんなことがあるのは当然だと思うんです。
ただ、自分が嫌いだなと思ったからといって、違う誰かもその人のことが嫌いとは限らない訳で、結局は「相性」なんです。
さっきのAKBの話もそうですが、
ある女性は綾野剛がタイプだし、またある人は向井理がタイプである。
ただそれだけなんです。
なのにここでもまた「マジョリティー」が人の思考を狂わせる。
ここでもわかりやすいように例をあげよう
学校で人気者のN君がいたとしよう。
N君:「てかさお前ら、Z君ほんとうざくね?授業とかまじめに取り組んでる感じほんといらいらする」
ここで周りの人間はそこまでZ君のことを悪く思っていなかったとしよう。だが、N君は学校の人気者、嫌われたくないと思った一人の友達がこう言いだす。
A君:「それ俺も思ってたわ」
するとこれに続いて後はねずみ講のように伝染していく。そして噂が広がっていく。
するとどうだ、そんなに悪いやつだと思ってなかったZ君がなぜか嫌な奴に見えてきてしまう。こうしていじめに発展する。
人は多数のいうことを疑わない。なぜならそっちにいると安心するからだ。
マズローの欲求段階説にもあるように、人間には「社会的欲求」すなわち集団に属したいと思ってしまう欲求を持った生き物なのです。
僕はこの「先入観」から生まれる「多数が正しい」という考えが嫌いだし、人はもっと考えるべきだと思う。
もちろん、周りの意見を聞くことは大切だし、多数が正しいというのは可能性で考えると確かにそうだ。
だけど僕は、すべての意見をふまえた上で最後にもう一度自分自身に問いかけることが本当に正しい「選択」をする際に重要なことだと思う。
是非、みなさんには以後「選択」を迫られた際にはマジョリティーを疑ってみてもらいたい。
そうして初めて見えるなにかがきっとあるはずだから。
以上で今回の記事は終わりとなります。
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最後まで読んでいただきありがとうございました!
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