ぱらぱらめくる『文学とは何か』by テリー・イーグルトン

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Preface

この本が扱う「文学理論」は、'Art as Device' by Victor Shkolovsky, 1917 に遡る。文学 literature, 読む reading, 批評する criticism に関して考え方の変化があった。
それらについての初心者向けの網羅的解説。
理論を知ることは、知らないことによる頑迷・墨守から離れる助けになる。

Intrudoction: What is Literature? イントロダクション:文学とは何か

ひとつの文・文章は、いろいろな読み方ができる。その複数の読み方のうち、ある読み方をすると、それは文学的だし、別の読み方をすると(実用に徹しているなどの理由から)文学的ではないとされる。

いろいろな文・文章が「文学的」とされるが、すべての文学的な文・文章に共通の性質をみつけて、それを文学の定義として用いることはできない。
同じ文・文章でも時代によって文学的であったり、そうでなかったり(哲学的だったり)する。

「文学的か否か」には「良いか悪いか」という価値判断の匂いがついているが、必ずしも「良い」「文章」が「文学的」なわけではない。

※ 自分なりに考えると、こうなるのかな・・・
文・文章は次のように分けうる。
(1)「自分が何の苦も無く書ける(し読める)」
(2)「自分もこんな風に書きたいな(頑張れば書けるかな)と思わされる」
(3)「言語として、文法としては、わからないではないが、はて、何が書いてあるのか理解ができない(かろうじて解りそうな感じがする」

(1)は日常的言語表現であって「文学的」とは言わない(ことが多い)
(2)が「文学的」
(3)は「文章表現法」が問題になっているのではなく、言語で表現された何かしら新規の概念や考え方に触れるにあたり「文章」を媒介にしている状態であり、「血肉になる前の段階の哲学的文章」

そして、「日常的」「文学的「哲学的」の3分類は「個人」のレベルのそれと、「集団」のレベルでのそれがありうる。ある社会において、ある時代に議論するにあたっては「集団」でのそれが(暗黙裡に)前提とされるだろう。また、「一般社会」か「文学-orientedな集団」かでも異なるだろう。

「文学」を論じるとき「テキスト」の存在が前提となることが多いがこれはどういうことだろうか?
「聞いて・読んでわかる」ことと「自分で話す・書く」こととは大きく違う。単に単語として知っているかという場合には、passive vocaburary とactive vocaburaryと呼び分ける。
文章における「日常的」と「文学的」についも同様に、「読めるし書ける」か「読めるが書けない」という違いと言い直しせるかもしれない。
この枠組みで言うと、「日常的」「文学的」「哲学的」~"passive語" "active語" "新規造語"とでも対応づければよいかもしれない。 

1 The Rise of English 英語の興り

2 Phenomenology, Hermeneutics, Reception Theory 現象学、解釈学、受容理論

文学作品を書いたり読んだりすることを個人の体験と捉えたときに、どのように意味づけるか。

Phenomenology (wiki)
主観とか、意識とかを考えて、経験するとかそれに意識・認識するとはどういうことか、というようなことを問題にする。文学の場合は、個人の経験・認識を言語表現に定着させ、それを読み手もまた、個人の経験・認識に変換している。

Hermeneutics (wiki)
 「書かれているこれって、どういう意味?」
聖書に書かれていることは、どのような意味にとればよいのか?みたいな作業もHermeneutics 解釈学

Reception Theory (wiki)
「これを読んで、読者(の私)は何を/どう感じる/考える?」

3 Structuralism and Semiotics 構造主義と記号論

文学を情報のやりとり・意思疎通と考えたときに、どのような方法論があるか。

Structuralism (wiki)
"to uncover the structures that underlie all the things that humans do, think, perceive, and feel."
人がすること、考えること、近くすること、(頭で)感じることのすべてには、それを可能にする仕組みがあるはずで、その仕組みを明らかにしようとするのが構造主義。

Semiotics (wiki) 
"any activity, conduct, or process that involves signs, where a sign is defined as anything that communicates something, usually called a meaning, to the sign's interpreter."
意味のやり取りには何かしらsignsと呼ぶべきものがあって、それらは発する側と受け取る側で共有させている。そのsignsに着目する。

4 Post-Structuralism ポスト構造主義

Post-structuralism (wiki) 
構造主義は強烈・強大な考え方で、多岐に渡る物事を一刀両断して「説明」してしまうが、融通が利かないところもある、といったところだろうか。
その、ある意味で頑固なStructuralismでうまく説明できない部分を主張するのがPost-Structuralismか?
個性・バイアスなど、通り一遍に扱えない要素には、時系列積分などの考え方が投入されるのだろうか?"…history and culture actually condition the study of underlying structures, and these are subject to biases and misinterpretations."
"A post-structuralist approach argues that to understand an object (a text, for example), one must study both the object itself and the systems of knowledge that produced the object."

5 Psychoanalysis 精神分析学/法

現象学も構造主義も、時代の「哲学」の潮流であって、文学理論においてそれらが用いられたのは、哲学を含めたその他の領域でそれらが用いられたのと同じ構図。
そういう意味で、「精神分析」は19世紀からの、多方面に影響を与えた考え方の一つであって、文学理論にも影響を与えている。
「無意識」とか「抑圧」とかもそう。

Conclusion : Political Criticism 結論:政治的批評

個人的体験としての文学・文学理論ではなく、多人数に共有される文学・文学理論という位置づけについて書いている?
文学理論としての章としては、2,3,4,5章とは趣が違っている。

ぱらぱらめくった後のコメント

文学理論は、文学をどのように捉えるかに関するものであって、それは文学という学問の内部で閉じているものではない、ということのようだ。「文学とは何か」を考える道具は、文学の外にあって、哲学を中心とした「言語活動」に関する考え方の枠組みがそれにあたるということらしい。
その考え方の枠組みを「文学作品」と「文学作品の作成」と「文学作品の受容」と「文学作品の批評」とに適応すると、「文学理論」になる、と。
哲学以外では心理学が取り上げられているが、ここで取り上げられていないのは、情報理論とか確率論とか、いわゆる理系とされる分野の「考え方の枠組み」だろう。
これらに基づいた「文学作品」と「文学作品が持つ機能」とを考えることは、「文学理論」の一部だろう。



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