【盛り上がる??九弁連シンポテーマ論争★北九州弁護士会】

来年の九弁連大会が北九州で開催されることに伴い、会内でそのシンポテーマの議論が行われています。
いくつかの有力候補の中から今月中を目処に一つが選ばれます。

僕みたいなヒラ弁護士にもちゃんと発言機会を与えてくれ、その発言を尊重してくれる北九州弁護士会の風土には、登録時からホントに感謝しています。
出来レースじゃないか!?などと不満をいうこともよくありますが、僕はこの寛容な弁護士会じゃなければ生存できていなかったと本気で思います。

結論がどうであれ(皆で決めるならどっちでも良い)、充実した議論になればなーと願います。
以下、僕が推すテーマについて、(とある先輩とやりとりした)僕の意見です。

公開することについて先輩からの了解も得ましたので、ぜひご一読を。

・・・・・

●●先生

ありがとうございます。
この間の●●先生とのやりとりのおかげで、僕の考えもかなり整理されてきたように思います。
率直に議論するとやはりいいですね。

指摘は、■■先生らしいですね。
「教育の自由・多様性といいつつ,特定の学校法人を紹介するとその紹介方法によっては,そちらの方が良いというニュアンスになったり,前回議論で出た公教育や校則批判になりかねない」というのは、たしかに僕も一番気になっているところでした。

そもそも、僕の考える「いい教育」と、他者の考える「いい教育」は現状全く違うとヒシヒシと感じます。
自由教育で子どもはいいだろうけど、今の日本の現状では子どもの将来が不安だというのは、あの学校に対する批判で毎回必ず出る話です。

教育の問題は、皆が自分や親として経験者なので、実はかなりデリケートな価値観の対立を生みます。
僕なんかは子どもの自由とその意思を中心に据えて、親としてサポートと刺激に徹するだけ(アイツの邪魔をしてないだろうかをいつも自分に問うてるつもりです)という価値観ですが、子どもを「導かないといけない」と考えている親の方がむしろ多数派でしょう。

なので、■■先生のおっしゃる通り、僕のイメージするシンポの結果、特定の学校法人・価値観を押し付けるかのような印象で不快に思う人も続出するのではないかと思います。
そのため、この数日、みんなの納得、企画の通りやすさという観点からはキバを丸めたシンポイメージを模索しないといけないのかなと考えていました。

ただ、ふと考えると、これってホントに価値観の対立なのか?という気がします。
価値観の対立という言葉でお茶を濁しているだけで、実は単に子どもの権利条約の原則論を見失っているだけというのが日本の現状じゃないかというのが僕の根本的な問題意識です。

率直に言って、僕の本音は公教育や現状批判なんですよね。
(だから誠志郎はあの小学校に行っている)
で、今の教育・学校・大人おかしくない?っていうのを「社会に問いたくて」、このシンポをやりたいと考えているわけです。
表現の仕方(公教育批判になりすぎない工夫)はともかく、ここは避けて通れないのかなと。

そもそも子どもの権利条約の想定している子どもの意見表明権の尊重(その前提としての子どもの自治の尊重)という観点からは、現在の日本の公教育・子どもの現状は、弁護士会からももっと峻烈な批判の対象となってしかるべきだと思います。
国連からも勧告が出て、日弁連も意見書等を出しているところです。

しかし、会としてはともかく、個別の弁護士自身が親であったり、自分の経験があるから、意外と現状肯定的(自分のやってきたこと、やっていることを批判されるは誰でもイヤ)というのが実情かなと思います。
で、実は僕はここを問いたいのだろうなと。
良くも悪くもむしろ周囲とのハレーションを産まないとこのテーマでシンポをする意味がないとすらと思います。

それをいくら弁護士会の一部である北九州部会内の異論が出てまとまらないからといって、またタイアップを期待する行政に対する批判的要素が出るからといって、子どもの権利条約が想定する大原則を曲げてまで「皆の受け入れやすさ」を求めるというのは、法律家のシンポとして違うなと感じます。
このシンポは社会に問わないと意味がないからです。
そして、子どもの権利条約が想定する子どもの意見表明権を机上の空論だけではなくそれを実践してみようという趣旨で作られた子どもの村小学校を推すイメージになってしまうのは企画の性質上、避けられないかなと。

また、朝鮮学校を押し出しすぎるとピンポイントだ、そもそも政治色が・・・という意見は、他の応援してくれる何人かからもいただきました。
しかし、子どもの権利条約は民族教育の自由を前提にしています。
朝鮮学校の問題は子どもの権利条約に反する対応です。
子どもの権利条約の日本での現状を取り上げる以上、日本最大の人種差別問題である朝鮮学校の問題を押し出さないというのも、僕はないなと。
そんなおかしな対応を容認している日本社会に、子どもの権利条約の原則論を問いたいからこそ、このテーマでシンポをやろうとしているのです。

それなのに、皆の顔色を伺って原則論を曲げる必要はないし、法律家として曲げるべきではないという気がしています。
社会に問いたい以上、挑戦的な要素が含まれるのは当然です。

そうなると、方向性としては、
・子どもの権利条約30年の日本の現状を踏まえる。
・現状を検討する具体的題材として、北九州にある自由教育と朝鮮学校を取り上げる。あわせて公教育の現状と一部の挑戦を取り上げる。
・その中で、今後、弁護士会として社会に発信できることを洗い出す。

このテーマの一番の売りは、担い手がいるとか、北九州に材料があるとかいう話ではなく、「社会に問う」という今時珍しい青臭い姿勢じゃないかという気がしてきました。
子どもの権利条約の現状を確認する以上、現状に対する批判的姿勢はマストだと思います。

あとは、弁護士会としてこのような社会に問う企画を実施することについて、部会の皆が面白いと感じるか否かを率直にジャッジしてもらう。
それ以上でもそれ以下でもない気がしてきました。

僕はこういうのこそ弁護士会じゃないとできない企画だと思いますけどね。
空き家のスキームがなんたらかんたらとか行政のシンポでもできるじゃんと。

とはいえ、今はもう違うのかな。
そこらへんの各部会員の反応も、弁護士会の一員として興味深く観察したいと思います。

安元

追伸
 このメールは僕の現在の考えを端的にまとめているのでいろんな説明のために自由にコピペして使っていいですよ(■■先生の名前は迷惑かけたら申し訳ないので伏せ字にして)。

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