【子どもはもう一人前の人格★誠志郎の小1終了】

昨日の午後は再び誠志郎の学校へ。
今日が小1最終日。
コイツのことが好きすぎて、忙しいのに週に2回も見学に行ってしまったわ。

とはいえ、もはや学校の中では彼がひとりの人格として存在する世界があるので、親とはいえ現場に行っても彼視点の何かが見えるわけではありません。

結局、現場で想像力をパンパンに膨らませている自分に気付きます。
当たり前だけど、もう彼は彼、俺は俺。

・・・

みんな遊びに出払って誰もいない教室内で、まりちゃんと二人で教室内のギターを弾いてマッタリしてたら、先日、誠志郎とミスドでお茶した中3のK女さんがやってきました。
K女さんは今日で卒業。

「お世話になりました」とご挨拶を受け、「いえいえ、こちらこそ」みたいな感じでしばし立ち話。
で、K女さんは先日のミスド時の写真を何枚か自分の携帯から転送してくれました。

その間の自然なコミュニケーション。
K女さんは中3なんだけど、僕らは社会人?と話してる感覚。
・・というか「中3なんだけど」って枕詞がそもそも間違ってるな。
もう当然に一人前の人格です。

・・・

ここの学校の子と相対すると、独特の堂々とした振る舞い+体内から溢れるエネルギーに圧倒されそうになります。

これは、まーここは飛び抜けて変わった学校だからかな?と今まで思ってたけど、実はここら辺の感覚は朝鮮学校の子と相対した時の感覚と割と近いものがあります。
この感覚がいったい何で、この正体がいったい何なのか??と最近よく考えます。

「学校」ってのは、子どもが一日で一番長い時間を過ごす場所。

その場所において、自由教育という枠組みでひとりの人格が尊重されている環境と、在日朝鮮人の仲間として同胞社会の一員という枠組みでひとりの人格が尊重されている環境ってのが、実は近いのかな??と感じている今日この頃です。
まぁ、まだまだ実地調査や研究、議論が必要やけど。

九弁連シンポの議論はなかなかヒートアップしてますが、それに関係なくこのテーマは個人的にとても興味深いです。

まだまだ研究が必要です。
・・俺、なに屋や??笑

フォークシンガー、弁護士の次は、教育研究者やな(結論)。

追伸 そういや俺レベルの男になると、数年前から福岡県教職員組合(ニッキョーソ)の“共同研究者”の肩書きを拝してたことに気付いたわ。もう研究者やから、次は研究所の立ち上げやな。

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