【生徒の皆さんへ−今、思うこと−★ミレ通信】

九州中高の生徒の皆さんへ

1 朝鮮学校への高校無償化制度の適用を巡る裁判は1、2審とも不当判決だった。10月30日に上告し、1月12日に主張書面を最高裁に提出した。
  子どもは大人一般に対し「自分に学ばせろ」と求める権利を持つ。民族教育も同じ。皆さんは国に対し民族教育を受けさせろ(教育できないなら金を出せ)と求める権利を持つ。
  1、2審判決は理解できないが、弁護士の力不足も謝罪したい。
  最高裁に伝えるべきことは伝えた。結果を待つ。詳細は「朝鮮学校無償化裁判を支援する会」のHPに書面があるので見てほしい。

2 「朝鮮学校には日本の学校にはない“いい空気”がある」。朝鮮学校を訪れた多くの日本人が語る言葉である。大人の戯言と思うだろうが、僕も感じる。上告を終え法的議論がひと段落ついた今、この“いい空気”の正体が何かといつも考える。
  弁護士駆け出しの頃、市内の小中高校にキャリア教育(弁護士の仕事を説明する)で何度か行った。キャリア教育は良いが、そこで感じる学校の空気は最悪だった。大規模校になるほど軍隊のようで、行く度に胸くそ悪くなった。
  僕が朝鮮学校の裁判に7年以上関わったのは、この時感じた「学校って何?」という問いに、折尾の朝鮮学校が一定の答えを示すからだと思う。

3 先日、友人の金敏寛君と酒を呑んだ。
 安元「日本の学校は先生が生徒を規律しまるで軍隊だ。朝鮮学校は生徒と先生の関係が自然で、生徒が個人として自律している」
 金「朝鮮学校の生徒たちは皆で団結して進める力は凄い。だが日本の学校の方が個人が強い印象だ」
 安元・金「!??」
  このやりとりが何かは正直なところよく分からない(笑)。僕らは異床同夢なのかもしれない。
  ただ一つ。自律を感じる要因として、朝鮮学校では「教師と生徒」という関係以前に、「同胞の仲間」として生徒は先生を、先生は生徒を「人として尊重する」関係があると思う。生徒も先生も学校に受け容れられている。これは今、きっと多くの日本の学校で失われている。

4 大人はいつも何かを子どもに押し付ける。朝鮮学校も僕も同じだろう。
  ただ、大切なのは「主役は子ども」という根本である。報道されているブラック校則など論外である。
  皆さんは一度「子どもの権利条約」を読んでみてほしい。なぜ自分が主役かの基本が書いてある。朝鮮学校を無償化制度から除外した日本の対応がいかにクレイジーかもわかるだろう。ちなみに朝鮮民主主義人民共和国は、民主主義を自称する日本よりも早く子どもの権利条約に批准した国である。
  僕の考えはまだまとまらない。ただ、自律した主役を支える脇役として、今後も朝鮮学校に関わりたい。

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