【初めての授業見学★北九州朝鮮初級学校】

今日は初めて北九州朝鮮初級学校(小学校)の授業を見学しました。
これまで7〜8年の付き合いで朝鮮学校には30回は来ているはずだけど、いつも焼肉ばかり食ってたわ。笑
ちゃんと授業を見るのは今回が初めて。

朝鮮語を駆使しながら、イカしたちびっ子たちが、算数、国語(日本語)、英語、社会、音楽、体育などに取り組んでいました。

端的に、普通に(?)とても良い学校だなと改めて感じました。
あと僕の場合は、誠志郎が授業らしい授業もないとても特殊な自由学校に通っているのもあって、こういう僕が経験してきたような普通の授業風景は懐かしくもありました。

友人の金くんに聞くと、彼が在学していた30年前と比較しても、1クラスの生徒数は半分以下。
学校としては望んでいない結果かもしれないけど、1クラス10人そこそこの少人数クラスが実現しています。
金くんの学生時代と比較しても、「少人数の分だけ、子どもと先生の距離が近い」と感じるそうです。

ある国語の授業を見てたけど、先生の質問に子どもたちが思い思いに発言するフランクな感じで進行していました。
なんか、友達の家のリビングで仲間で集まってリラックスして学んでる感じかな。
いい感じ。少人数って、とても良い。

あと、職員室はガラス張り。
そういや、6年生はiPad駆使して授業してたわ。

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廊下や教室内で見てる保護者の雰囲気もなんかリラックスしてました。

おそらく、保護者も子どもを朝鮮学校に送るってのは、今の在日社会の中でも割とコアなメンバーなんかな?
皆さん顔見知り同士みたい。
教室で教えている先生も在日の仲間。
仲間界隈で自分たちの子どもを一箇所に集めてのんびり勉強させてる雰囲気。

朝鮮学校が、まさに在日の皆さんの地域コミュニティーとして機能しているのを感じます。
こういうのって、かつて日本の学校にあった雰囲気なのかもしれないですね。
日本の失ったもの?・・・少なくとも、今の僕は学校を中心とした地域コミュニティに自身が帰属しているという意識はゼロです。

以前、朝鮮学校の某先生が、「安倍総理って実は朝鮮学校みたいな学校が(昔の日本みたいで)羨ましいから、逆に邪魔するんじゃない?好きな子だからこそ嫌がらせしちゃうみたいな。」と冗談半分に笑ってましたが、割とマンザラでもないような・・・。

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今日は、小学校の見学だけだったけど、中高も似たような大らかな雰囲気を感じる朝鮮学校。
あー、中高もちゃんと授業を見たいね。

一緒だった朝鮮学校出身の友人弁護士によると、、
・朝鮮学校からは、高校卒業後、日本の大学に進学する人たちも一定数いる。
・一方で、いわゆる成績が学校内でとても良いグループは東京にある朝鮮大学校に行く傾向がある。
・朝鮮大学校には入試はあるが、朝鮮学校出身者でやる気がある生徒については基本的に受け入れる。

なので、競争や変な階層化に晒されず大きくなっていくこともできる。
ちなみに、その友人はいわゆる「受かるため」の受験というのは司法試験が人生で初めて。
朝鮮大学校の入試は、彼が受かるかどうかというより、彼自身の名誉のために彼が全体の首席で合格できるかどうかのプレッシャーだったらしい。

一方で、自分はどうだったかな。。
僕は世間的に見てもハードな進学校だったけど、中学受験、大学受験(中高一貫なので高校受験はなし)と、やはりそれなりに競争的かつ階層的な環境だったように思います。
で、そのゴールである大学受験から逆算された中学、高校の日々、大学受験戦士養成の日々みたいな。

で、これって僕が通っていたような超進学校特有なのかなと思っていたけど、先日、このテーマで北九州の公立出身の何人かの同業者と話していたら、そう特別な環境でもなさそう。
他の高校でもかなりの部分「大学受験から逆算された毎日」を送っている印象でした。

自分を振り返ってみれば、中学、高校の時の「勉強」って言ったら、参考書や問題集と睨めっこすることやったよね。
図書館といえば、「静かに参考書や問題集と睨めっこできる場所」。
図書館で手当たり次第、興味ある本を手に取るとかもなかったし、図書館の司書さんに相談して調べ物するとかいう経験すらなかったよね。
図書館や勉強に対する冒涜やな。笑

で、そんな日本の受験戦争に晒されていない朝鮮学校出身の金くんや白くん、梁くんなどの同業者を見ると、みんな優秀+ナイスガイで、、、
「日本人たちは一体なんのためにこんな過度に競争的かつ階層的な“受験戦争”に身を投じているのだろう・・・」
と思わざるを得ないわけです。
今さらかな。

まー、弁護士の場合は割と「出身大学などの学歴を気にしない」業界?ってのもあるのかもしれないけど。
あとそんなこと言いつつ、俺って意外と受験勉強は嫌いじゃなかったんだけどね。自分の望む結果が出たからそう思えてるだけかもしれないけど。

ただ、やりたい人はどんな環境でもやるわけで、環境が競争的であることで得てるものよりも、失ってるものの方が多いように感じます。

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あと、その手の受験勉強で得たものが、今、自分の中にどういう形で残っているか。。
たしかに受験勉強で「地頭が良くなる!」とかいう効果は多少あるかもしれないけど、そういうのって別に受験勉強じゃなくてももっと楽しい方法はいくらでもあるよね。

だいたい今日、算数の授業で小学生が割り算の筆算をしてたのだが、学校卒業して20年ほど経過すれば、京大には数学で受かったと自負しているオレですら「筆算って右からやるんだっけ?左からやるんだっけ?」ってビクビクしてたわ。笑

今、弁護士として一応食べられてるのは、受験勉強でガリガリに詰め込んだものよりも、むしろアザーサイド時代に夜な夜な培った、酔っ払いとのあーでもない、こーでもないの終わりのない議論や、人との微妙な距離感の築き方とか、そういうものの方がデカイと思うんよね。

でも、だから俺は田舎で弁護士やってる程度のこんなもんなのか?とも思わないでもないし、だけど俺は結構いい感じに楽しく人生送れているとも思うし。。

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グダグダですが、せっかく色々と感じたので備忘も兼ねて。

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