甘い生活/木原音瀬 ネタバレ有り感想

初出は1998年。単行本化は2001年。まあ、古いな。20年前か。私ナニしてたかな、20年前。あー、とあるバカ企業の正社員で働いてて、体調崩しまくった末についに鬱でひっくり返って病院行ってた頃だわ(笑)だんだん思い出してきたけど、「ストレスは溜める方が悪い」と上司に言われたんだっけな。

まあそんなことはどうでもいいのだ。
なんだかんだで結構読んでいる、この作者の本。なぜならば、以前まんだらけに行ったときにまとめ買いしてきたから。そんで、定価838円のところ、1,000円の値がついてたので、オモシロイのかなあと思ってさ、今回の一時帰宅で積読置き場から持ってきた。

わーかーるー!と全面的にオッケー👌を出したくなる場面と、全然わかんねー!ってところの振り幅が大きくて、その意味でオモシロイ小説だった。

p98
世界に自分一人だけならどんなに楽だろうと、夢のようなことを何度も繰り返し想像した。

…なんていう、文和の子供のときの述懐は、私も幼い頃いつも思ってたし、夢にもでてたので共感することしきり。
ちょっと横道に逸れるが、私がよく夢で見たのは、誰もいない世界の中に存在する、誰もいないデパートで、そこに売ってるものはなんでも自分のモノになるのでウキウキしているという、物欲の化身のような内容だった。

まあ、この年になって思うのは、うちの母親は、年子の弟、5歳違いの妹の面倒を見るので手一杯で(という風に装って)私を無視しつづけ、私がなにか話しかけようとすると、「あー、忙しい忙しい」と繰り返して私から逃げようとするだけの毒親であった。ついでに父親との仲も最悪で、年柄年中父親が母親を怒鳴りつけたり、暴力を振るったりするのを間近でみせられた。父親は常に機嫌の悪い顔をして、子供の顔を見れば「うるさい」と言った。たまに機嫌の良いときに話をしても、途中から必ずいきなり怒鳴りつけられた。それも、自分的にはスゴク我慢してから怒鳴りましたと言わんばかりの雰囲気を醸し出しながら。あれは今でも謎だ。ていうか単純に子供が嫌いだったんだろうな。そういえば母親はいつも私に「お父さんは、お母さんのことが大好きすぎて、周りが見えなくなっているのよ」とよく言っていたな。勘違いも甚だしいとは思うが、まあ男と女のことは、結局当事者にしかわからんしな。

そんな家だったから、私はたぶん寂しかっただろうし、何故自分だけが、怒鳴られたり無視されるのか分からない不安のなかにいたんだろうと思う。

今は、弟・妹とは没交渉だが、あの頃何を考えていたか、ちょっと聞いてみたい気はする。
まあ私は完全に、両親からの風除けとして存在しており、彼らはもしかしたら毎日毎日勃発していた、大なり小なりの両親の諍いを、知らないのかも知れない。

そう思うとき、今でも母親に問いたいのは、何故私を産んだのか?ということだ。「出来の悪い」女中として育てたかったとしか思えない。出来の悪い女中でないと貶めることが出来ないからだ。
だから、小学校高学年の頃から母親の私への苛めが本格的に始まったが、「手伝いをしない」と毎日怒鳴り、自分なりに考えて家事をすると、今度は「自分だけがしているような顔をして」と言われた。

ってなわけで、幼少期の文和の想いはよく分かる。文和の母親の身勝手さも、あれで家事を疎かにして金がなければうちの母親そっくりだ。
でも、実際に、先妻の子がある家に嫁ぎ、更に自分に子供ができたら、当然自分の産んだ子が可愛くなるだろうし、文和への態度は、心のキャパを超えた人間のそれなんだろうなあと思える。

で、話を戻すと、小学生の文和をレイプし、性的虐待を繰り返す家庭教師・藤井の、心の脆弱さを偽善で取り繕うとする卑劣さは、唾棄すべき行動ではあるが、やがて文和が成長し中学3年になったとき、藤井は文和にレイプされる。
このあたりを「人間とは」みたいな切り口にすると、文芸誌に載っている小説になるのかもしれないが、作者はそこは突き詰めず、ここからは文和の心を描写し、恋焦がれる藤井への想いを語らせる。

ストックホルム症候群か⁈とも思うが、立場が逆転してるのでそうではあるまい。

んで、高校に進学した文和は、ますます藤井に傾倒していき、藤井は文和に抱かれ快感を覚えながらも、文和を蛇蝎の如く嫌い続ける。

最後には、藤井の狡さ、弱さを含め、この男を守りたいと思う文和と、文和に絆された形で関係を続ける(本文中には、恋人になると表記されているが、私はその言葉を素直に受け取ることが出来ない)。

ただ、この二人からは、ものすごいリアリティと、逆に非現実的な人物造形が交互に表出され、興味深い。

藤井の心の弱さは、おそらく多くの人間が隠しもっている一面を切り取り、みせられた感はある。だが一方で、彼の、社会人としてそれなりに生活しているにも関わらず、文和の想いにオモシロイほど気付かないという一点が、文和よりも人形のような印象を受ける。(文和は作中で、人形のような美貌としばしば形容される)

文和にはその男のドコがそんなに良い?と訊きたくなるし、またその問いこそがこの物語の主題だと思うのだが、ラストシーンまで読んで、あーなるほどなと思った。
要は、割れ鍋に綴じ蓋。


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