「姐妃のお百」を観た!!

2023年5月28日14:00開演の千秋楽公演を観た。駒塚由衣さんの江戸情緒噺 と銘打ってあるが、噺と一括りにしてしまうには(良い意味で)演劇的で、勿体ない感じがした。とある噺家さんの演じる劇中劇の体裁をとった一人芝居ではないかと、フリートークから本筋への鮮やかな移り方を見て思った。

芸者の置屋・美濃屋の小三(実は稀代の大泥棒というか犯罪者・お百)のところに、ある日、三十二~三歳ほどの、元芸者で目が不自由な峯吉(みねきち)とその娘およしが門付けにやってきて、ひょんなことから同居することになる。三人は、一か月ほど一緒に暮らしたが、やがて小石川に眼病を治す医者がいると言って峯吉を外に出した小三は、早速悪女の素顔を出し、すぐにおよしを二百両で吉原に売り飛ばしてしまう。

主人公はこんな「毒婦」なんだけれども、前半の峯吉親子や、周辺の人々に対する親切は、そんな顔の片鱗も見せない、ただの世話好きのお姐さんだ。
でも、二百両でおよしを売ったあと、極楽極楽と毎日遊んで暮らして楽しそうにしているあたりから、彼女の二面性が現れる。

やがて病院から(今でいうところの)一時帰宅してきた峯吉は、およしの不在を知り、一目およしに会うまでは小石川へは戻らないと宣言する。
小三は、峯吉を二階へ追いやり、一階へ降りる梯子を外してしまう。そしてほぼ食料を与えずに監禁する。(お手洗いはどうしたのかと聞きたくなるけど、そこは、きっと二階にも厠があったのだろう)
この小三からお百に戻り(今でいうところの)サイコパスの本性を出すところがすごく軽やかで、本来なら相当おどろおどろしくなりそうな場面なのに、飄々としている。この稀代の悪女、悪い奴と分かってからもどこかたおやかなのだ。

演じておられる駒塚由衣さんの役作りなのか、演出なのか、はたまた持って生まれた気品のなせるわざなのか、置屋の姐さんのときも、これまで歌舞伎や芝居で見てきた、元気で切符の良い姉御というよりも、男相手の商売で、適度に(?)こなれて、世慣れた大人のお姉さんの雰囲気がある。今だったらさしずめ銀座の超高級バーのママみたいな(←見たことないけど)美しく聞き上手で頭の回転が早く、男性からはいつもモテモテ、という女しか持ち得ない物腰の柔らかさを感じるのだ。

それで、それを数ある(男性の)噺家さんや、歌舞伎俳優の女形からは、なかなか感じたことがないなぁとふと思った。随分昔だけれど、「ふるあめりかに袖はぬらさじ」という、玉三郎さん主演のお芝居を観に行ったときも、きっぷの良いおかみさんではあったが、今書いたような「デキル女」ならではの雰囲気はというと、残念ながら感じえなかったように思い出す。(でもとても良いお芝居でした。私は再演も観にいきました)

で、これは一人芝居なので、老婆もやれば男性も演じる。この男性の声が、ハスキーで、無理に男、男してない、とっても自然体な男性なのだ。

見どころのひとつに、親切な姐さんから悪女の本性が見えていくお百と、最初は大層仲良くしているが、やがておよしをめぐって彼女に疑いを持ちはじめる峯吉の変貌ぶりが好対照で面白いと思った。特に峯吉は、ほんの少しの言い方の違い、呼吸の乱れ、指の震えで、「もしや…。でも信じたくない」という逡巡を感じさせる。細やかな演技だと思った。

話は、お百の旦那の手下・重吉がやってくる場面で急展開する。
およしに会いたいと繰り返し、食料を与えられないので痩せてまるで老婆のようになってしまった峯吉が邪魔になったお百から、彼女の殺しを命令された重吉は、騙して峯吉を置屋から連れ出し、夜が更けるまであっちこっちへ連れまわす。この道行きが、どこの橋、どこの町、と具体的で、現代でも聞いたことのある橋や地名も多く、イメージが湧きやすい。言問橋とか永代橋とか両国とか…。
本番後のフリートークで、立川談志師匠により書かれたこの作品(落語版(本家?)とでもいうのでしょうか)を、この作品にするにあたり、町名を道中づけすること、峯吉殺しの場面を丁寧に書くこと、という注文があったそうで、たしかに知っている地名が出てくるとなんだか嬉しいし、やがて殺される峯吉の場面は、手に汗握るほどのリアリティがありました。

だがキモはこのあと、死んだ峯吉が、あの手この手で重吉の前に現れるのだ。怖い。怪談話のように怖い。これは夜寝られなくなりそうなヤツだ。
で、さんざん怖い思いをした上で、重吉はもう一度、今度は自分自身を殺してしまう。ここでいきなりの幕切れ。
お百がどうなったのかについては一切説明がない。
主人公不在のエンドマークである。でも、この唐突さが、逆に事件の陰惨さや、悪者は滅びないというメッセージを持ってきたようで、戦慄した。
そして幕切れの場面とほぼ同時に「以上でございます」という駒塚由衣さんんの円(まる)い声。あ、現代に戻った、とほっとした。

面白い芝居だった。でも、帰宅してからも、なんだか二階には、髪が真っ白になった痩せた女が居て、六尺の屏風の上から首だけを出して笑っている(自分でイメージした)コワイ映像が頭から離れない…。

因みに、お百がおよしを吉原に売り飛ばした二百両は、現在のお金に換算すると、(一両=十万円として)、二千万円になるそうです。女一人の代金として、高いのか安いのか。
同時に、一文、二文(33.5円)といった買い物があったりしますから、江戸の経済ってどうなってたんだろうと思いますね…。

それから、始まる前のトークで、駒塚さんがおっしゃっていた、「ひとつき、同じ釜の飯を食べると、(どんな人間でも)気を許す」という一言が、観終わってから刺さりました。

以上です。
おわります。




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