川端康成短編の感想作文(毒舌アリ)

「伊豆の踊り子」を読んだわけだが、この有名な表題作を私はこれまで読んでいなかったらしく、随分新鮮な気持ちで読めた。文章美しいし、ラストの主人公の涙にも共感出来ない事はない。だがしかし、主人公の一高エリート臭というか選民思想がまず鼻につく。実質両想いであるところの踊り子とは最初から身分違いで、いずれ別れがやってくるところをやけに達観して受け入れるとこなど、そういう時代だったんだとは思うが、鴎外の「舞姫」の主人公を思いださずにはいられなかった。あれは酷い男だった。

で、「伊豆の踊り子」に戻るけど、たとえばだけど、この踊り子を嫁にすることだって、「天涯孤独の身」の主人公なら出来ない相談でもないのかと思う。だけど、両親を早くに亡くし次々に身内が亡くなり15歳にして天涯孤独になった彼は、だからこそ世間の常識から外れたくないという思いが働いたのかも。
終始主人公の目線で進む物語は、旅芸人の一座の生活ぶりを余すことなく伝え、主人公とこの一座はどんなに親しくなっても、身内には決してなり得ないことを暗喩しつつ、ラストシーンへ向かう。まるで終着駅が近づき、スピードを落とし始めた列車のように。
そうして主人公は失恋の悲しみに泣くのだけれど、そこに甘い快さがあるとも書いている。
どうしてもこのあたりに気楽でアタマの良い(苦学生の匂いはしない)学生さんが浮かぶのはワタシだけだろうか。

次、「禽獣」。
これは全くもって酷い小説だった。もう生理的に受け付けないけど、読んだ。貧乏性だから。
要はお金に余裕のある主人公が、金にあかせていろんな動物を飼い(特に鳥がスキ)、自らの過失によって、可愛がってたはずの鳥がどんどん死んでいく話。なんだそりゃ!!
動物全般スキなので、この話はいただけない。いくら主人公が、孤独で、人間を信じられず、寂しさを紛らわせたくて動物を周りに置いておきたいとしても。

動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を目標と定め、人工的に、畸型的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽やかさがあると思うのだ。良種へ良種へと狂奔する、動物虐待的な愛護者達を、彼はこの天地の、また人間の悲劇的な象徴として、冷笑を浴びせながら許している。

もう、この一文で十分だ。作品のテーマも全部言っちゃってる。

飼ってる鳥を見殺しにして良心の呵責を覚えない人間は動物飼うな。
それを美辞麗句でごまかすな。

ほんと、ムカつくわ、この小説(笑)

あと二篇あったけど割愛!
もっと面白い小説なかったんかねー、この時代…。


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