バック・ステージ/芦沢央 なんとか書いた感想文(毒舌(?)注意)
序幕、一幕〜四幕、終幕、カーテン・コール と、芝居にちなんだ目次が並ぶ。
いきなりでなんですが、序幕を読み始めたあたりで、何度も読書を投げ出したくなるやりとりのつまらなさに、少し目の前が暗くなる。
でもせっかく買ったのだから、の一心でページを捲る。捲り続ける。捲る、めくる、メクル、まだ終わらない…
私は、いつも栞がわりの付箋を貼りながら本を読み進め、気になる文章には貼り付けたまま、また新しい付箋を貼り直していくのだが、今回は、最初のうちこそそれなりに貼ってあるけれど、途中からはその付箋さえない。
だが根が貧乏性なので、ついにさっき読了した。長い闘い(誰と?)だった。
以下で、気になったところを、後学のためと自戒の念を込めてメモっておこうかと思う。
まずは良いと思ったところから。
(カーテンコール章を除く)ラスト1/10で俄然面白くなった。ていうか、ここと序幕だけでこの小説よくね?
これから挙げる良いと思った場面は、四幕の劇中劇の形で起こる物語なのだが、劇中劇の物語と、会社の背任罪云々の物語がうまく噛み合っていない。そんで、この作者の小説を読むのは2冊目なのだが、章がかわるたんびに語り手も変わるので、読みづらいことこの上ない。
良いと思った場面を書くつもりがいきなり批判してしまった…。
で、面白いと思った章は四章。認知症の症状が出てきた大女優と、そのマネージャー、そしてその症状さえ舞台のスパイスに使おうとする演出家の物語が、マネージャーの視点で語られる。おそらくこの作者が得意としているのであろう芝居の世界の話で、過不足なく楽しめた。
惜しいのは、語り手のマネージャー・篤子の年齢と大女優との年齢差が、最後まで私のアタマの中でうまく結びつかなかったことだ。結びつかないということは、想像も出来ないということで、結果、とても薄っぺらくて浅い小説世界で遊ばなくてはならない。もっと深くて豊かな小説世界で遊ばせて。
大女優は74歳、篤子は彼女より17歳年下なので、物語現在では57歳のはずなのだが、序幕に登場する会社員・康子と同じぐらいの年齢に思えてしまう。なんだったら康子に思えてしまう。
(康子の年齢は不明だが、女子高生に変装するシーンがあることから、二十代かと思われれるのだが)篤子もそのぐらいの年齢かと錯覚してしまうほど、篤子の内面は子供っぽく、言動も幼稚で、とても彼女か57歳だとは思えなかった。
そして、「カインは言わなかった」でも思ったことだが、登場人物の書き分けがほぼ出来ていない。「カインは〜」の、悪人演出家と、この本の悪人演出家と悪人会社員の区別がつかない。
なので、ストーリーの筋を追いにくい。
前にも書いたが、こういう小説には、目次よりも前に登場人物一覧を出して欲しい。それ見ながら読むから。不味い料理をそれなりの値段で食べさせるからには、それなりのサービスをしても良いのではないか。
そして、一幕から幕間を挟んで三幕へ続く、とんでもない中だるみの時間。これがホントに芝居だったらとっくに席立ってるとこだ。
特に三幕、脅迫状の差出人を探す(この章の)主人公が、何故一番先に演出家に相談或いは報告しないのか理解に苦しむ。結局差出人は演出家で、本番で主人公に、自分の意図した芝居をさせるために、虚偽の脅迫状を主人公の楽屋に置いておく(んだか鞄に入れておくんだかもう忘れた)のだが、出番前でピリピリしている共演者に探りを入れに行く暇があったら、真っ先に演出家かプロデューサーに報告して警察呼べよ、と思ってしまった。そのくらい手前勝手で強引な筋運びだったと思う。
四幕の、SDカードの紛失云々の場面でも、後から大女優が篤子に言うことが、篤子の言動で既にバレバレなのだ。
あー、書いてたらホントにつまらなかったと思えてきた。ワタシの時間返せ。
でもまあ、こんなふうに突っ込みどころ満載だったとしても、或いはそれだから尚更、読み終えた達成感はかなりのものだ。
そしてその感想を書こうという気にさせ、スマホで書く面倒くささを押してでも書かせたのも、間違いなくこの小説なのだ。
で、思った。読んでいる間は読者を惹きつけ、読み終った途端に「この時間はなんだったんだ、なんにも覚えてねえ」と思わせる小説もオモシロイなって。(表題の本のことではないけどね!)
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