「孤愁」大体読了
‘94初版発行の、ハードボイルドアンソロジー集。なんで買ってたかっていうと、執筆者のなかに、高村薫先生が入っていたから。で、高村先生のだけ読んで、未読箱に入れといたんだけど、この機会に(どの機会?)他の作品も読んでみようかと思って未読箱から出した。
ハードボイルドは、昔、一時期だけ読んでたんだけど、最近は遠のいてた。
まあ、結論から言うと、ラノベほどではないが、物語が荒唐無稽すぎて、(しかも書いてるほうが確信犯ぽい)全然入り込めなかった。
そうか、ハードボイルドは大人のファンタジーなんだな。(?)
あ、そんで、読む端読む端一人称小説だったのはなぜだろう。
編集者からの依頼かな。
それとも、一人称小説がラクなのかな。(少なくとも私はラクだ)などと思いながら、高村薫先生の「日吉町クラブ」再読。
「マークスの山」で直木賞を受賞したのが、たしか’93だから、まだまだとんがってた頃の作品。
後の、「レディー・ジョーカー」につながる雰囲気濃厚な、孤独だけれども、どこか突き抜けた明るさのある小説。
何度読んでもやっぱり面白い。
私たちはそれぞれ、これ以上現世で失う金も名誉も自尊心も持っていないのがいい。(略)金で幸せが買えるものでないことを知っているから、物欲もない。そういう精神状況に至るための不幸だったと思えば、不幸を嘆くこともないという心境だ。(p252)
ちょっど長いけど引用した。
これぞ、この時期の高村先生が繰り返し読み手に突きつけ続けたメッセージだと思うから。
「模範的社会人」誘拐計画は、細部まで計画を練られ、あとは決行をまつばかりというところで、物語は終わる。
この話が極上のワインのように寝かされ、やがて傑作に育っていく。
ここには直接には書かれていないが、ここには、長い間虐げられ、自尊心を破壊された人の、腹の底にマグマのように滾る憤怒がある。だが、それでも彼らは道を外れることなく、毎日、自分の仕事を黙々と続ける。
そこが、私がこの時期の高村薫に惹かれて離れられない理由なんだと思う。
懐かしかった。
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