旅芸人のいた風景/沖浦和光 感想文

2007年第一刷の文春新書。沖浦先生は2015年に亡くなられていて、いまウィキでみたら、単独での著作としては、生前最後の本だった。

(目次)
・街道に生きる遊芸人
・川端康成「伊豆の踊り子」、宝塚歌劇、修験道の行場
・芝居村と活動写真館、最後の役者村・播州高室
・香具師は縁日な花形だった
・医薬業と呪術の世界
・遊芸人を抑圧した明治新政府
・旅芸人の生きてきた世界
・「道々の者」への挽歌

など、目次をみるだけで胸躍る。今回入院にあたって積読本減らそう計画を遂行中で、その一環として家から持ってきた。良かった持ってきて。

で、まずは本書の川端康成先生のくだりを読んで、ソッコー「伊豆の踊り子」を買ってきた。(全然積読本が減らないw)
それはこれから読むとして…。

目次からでも分かるように、多岐に亘る視点、漂泊の人々へ向けた温かい眼差し、そしてその行動力に、頭が下がる思いだ。

自分の目で確かめた風景と印象と、その場に居た者でしか持ち得ない臨場感一杯の言葉の数々に、ワクワクしながら読み進む。

私のスキな芸能、戯曲、香具師の起源までどんどん奥まで分け入りほぅほぅと感心したり、今も昔もそんなに変わらないように思える世の無情に憤ったりしているうちに、気付くと読み終わってた。

途中「伊豆の踊り子」を買いに行ったり、二代目団十郎が編み出した口上、「外郎売」をネットで検索して、久しぶりに読み上げてみたり、鶴屋南北先生の作品の書評にウンウンと大きく頷いたり、歴史のテーマパークを一回りしたような爽快感と満足感。

読み終わってみるとあっちゅーまだった気はするが、この本を読み始めてから読了まで、実は2-3冊浮気していた。
それほど、なんというか、自分から歩み寄らないと扉を開いてくれないような気がした一冊だった。文章はとても平易で読みやすいのに、ちゃんと集中してないと先生のバイタリティに置いてかれる、そんな本。

私は特に、ガマの膏売りで有名な香具師(やし)の芸、そして起源を辿ると「香」(精力剤、惚れ薬、媚薬)、そして「醫(医)」(呪術的な医療儀式)に関しての論考が、ホントに面白かった。イヤほんと、下手な小説よりよほどドキドキしたよ。
なんだか、一粒で三倍お得なお菓子を貰った気分です。

最後に、先生がアマチュアの方々がされていた「ガマの膏売り」を観た感想として、「私たちが一昔前に見たプロとはどこかひと味違う。それは技芸の違いではない。一体どこが違うのか。(略)結論としては、「なんとしてもこれを買って貰わないと食っていけぬ」という気迫の違いだと感じた。」というくだりに深く頷きつつも、現代でそれをしているのは、ギリギリの生活で続けている、若手お笑い芸人あるいはドサまわりのお笑い芸人ぐらいかも、と思い、アウトサイダーは明治維新、大正、昭和、戦争を経ても年号が変わっても、今後も裏街道に生き続けるのだろうなあと思い、今あまり名前を覚えられなくなった若手芸人の芸を、今度小さな劇場で見てみたいと思った。



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