優しいおとな/桐野夏生(ネタバレあり感想)

今、世界を揺るがせているコロナウイルスの猛威。中世のペストを彷彿させる感染力は、今こうしている間にも拡大の一途を辿っていて、今後、世界の経済を狂わせていくだろうことが現実味を帯びている。
そんなとき、この本を読んだ。
福祉システムが破綻した日本を描いた小説だった。近未来だろうか、スラム化した街は、かつての繁華街・シブヤで、地名も道路の名前も実名表記なので、生々しいことこの上ない。

主人公は、15歳の少年・イオン。賢さと他人を顧みない冷徹さを武器に一人逞しく野宿生活を送る彼の姿は、見ていて痛快だ。桐野作品の他の作品にも出てきそうな、ああいう雰囲気。

NGOメンバーのおとな、モガミの欺瞞をも見抜くイオンは、誰のことも信用せず、自分で見つけたシブヤの空き家を秘密の寝床にしている。その場所を誰にも教えない用心深さと度胸で、この先も、読者を快調に引っ張っていく、ように見えた。

だが、後半になると、イオンは、一緒に育った「鉄と銅」という名の双子を探すために、「闇人」たちが地下で暮らすアンダーグラウンドに足を踏み入れる。
そこから物語は少しずつ停滞を始める。まるで走る自転車の車輪が徐々にゆっくりになり、ホイール音が弱くなっていくように。
そして、恰もイオンという、強く、逞しい魂が、光の当たらない地下深くで、生きる力を剥ぎ取られてゆくように。
イオンは優しくないおとなたちに痛めつけられ、またあるときは優しいおとなに助けられながら、だが、だんだんに疲弊してゆく。

少年の目を通してみた世界は過酷で苦しいものだった。
その描写が、細かく、冷徹な筆致で最後まで紡がれていく。

それでも、私はこの小説は、とてもリアリティのある冒険小説であり、黒いファンタジーであると思った。ファンタジーの言葉から連想される、ふわふわした空想物語の形式ではないが、主人公を少年にしたことで、目的に向かって突き進みながら大人になってゆく「銀河鉄道999」の星野鉄郎を思い出したし、不幸が続くが司教の力で改心する「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンのようだと思ったり、小さくなって雁の群れと旅するうちに良心が目覚める「ニルスのふしぎな旅」のニルスのようだと思ったりもした。

そんなふうに、いろんな物語の少年(バルジャンは少年じゃないけど)たちの面影を重ねながら、私はこの小説を読み進めた。
イオンの辿った旅路は、彼にとっても、周囲の人々にとっても、とてつもなく重く苦しい結果をもたらし、そしてまるでその全責任を取るようにして、イオンの命は尽きる。それは、姿は少年だけれども、生きる力を使い果たした老人のようだ。

知恵を使って立派にサバイバルしていたイオンには、たくさんの可能性があったのに、と思うと胸がつまるラストシーンだ。

福祉システムか破綻した時に、まず子供から犠牲になるという、端的にわかりやすく、そして今読んだことでとても身近に感じざるを得ない小説だった。

なお、この小説の初版は2010年9月刊行で、東日本大震災の半年前だ。震災後、早い時期に
桐野先生は「バラカ」の執筆を始めている。
それを思うと、この小説は、日本人が未曾有の大恐慌を経た後の世界だと、今簡単に推察されるのが、とにかく不気味の一言だ。

最後に:解説の雨宮処凛さんの、桐野先生ダイスキダイスキと堂々と書いているところが、個人的にじわる。いいなあ私もファン宣言したい(笑)

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