”退屈”との向き合い方
最近いつ退屈でしたか?
外出自粛の中で不意に思うことはあっても、気の遠くなるような退屈さは、長らく感じてないのではないでしょうか?
というのも、スマホやタブレット、つり革や看板広告など
様々な情報に囲まれて僕たちは生きています。
なかなか日常を切り離せない世の中になりつつあると感じています。
例えば芸能人の不倫や浮気がすごい騒がれますが、あんた関係ないやろって人まで怒ってますよね。
必要以上に(時には無駄に)情報が拡散される時代だからこそ起きていることだと思います。
さらに言えば、情報を操るリテラシーが低い人が多い時代だからこそ起きているのではないでしょうか。
1.退屈は悪か
そもそも退屈って悪いことでしょうか?
ここは特に賛否両論あるでしょう。
結論として私は、退屈は必要であると考えます。
私はむしろ退屈を作り出すことに意識的に取り組んでいます。
サウナやシャワーの時間や、カフェでコーヒーを飲んでいる時間、ドライブの時間です。
ドライブは特に有効ですね。程よく退屈な感じがします。
運転している以上完全に退屈というわけではないですが、車をよく運転する人ならニュアンスを分かって頂けるのではないかなと思います。
そういった運転中やシャワーの間って意外とアイデアが浮かんだり、忘れてたことを思い出したりすると思います。
2.退屈の種類
退屈にも種類があると思っています。
私が作り出しているのは、自ら意図して設定する退屈です。
言葉の定義が少し難しい部分ではありますが、退屈には上記の『意図した退屈』と『偶発する退屈』があります。
冒頭の話に戻りますが今日では情報に囲まれているため、『偶発する退屈』が極端に減りつつあります。
3.退屈のメリット
結論としてはアウトプットの質の向上が起こると考えています。
段階を追って話していくと、退屈している時間に、自己理解や内省が深まると考えています。
こういったことは普段なかなか取り組みにくいと思います。
退屈の時間の間に自分が欲していることや、内側で感じていることに辿り着きます。
自ずとアイデアも出やすくなります。
近頃のような情報社会では、知識や情報が外から入ってくる量がとても多いので、こういった時間を生み出すことでアウトプットの質が向上します。
4.まとめ
退屈という言葉はぱっと見にはネガティブな要素を感じますが、こういった捉え方もできるよね、って話でした。
歳を重ねるごとに時間が有限であることや、いかに使うかということに徐々に敏感になってきました。
皆さんが何かを感じる、考えるきっかけになれば幸いです。