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演歌の源流 # 11

丹下左膳の唄 : 東海林太郎 1935

丹下左膳と言えばご存知大河内傳次郎の十八番だが原作は林不忘の「大岡政談」であり、所謂大岡越前守モノに夜泣きの刀の異名を持つ関の孫六の名刀、乾雲丸・坤竜丸という大小一対の刀を手に入れるために密命により江戸に潜入する家臣が丹下左膳であり、大岡越前の他、この争奪戦に加わった旗本鈴川源十郎、美剣士諏訪栄三郎、怪剣豪蒲生泰軒などとともに一登場人物に過ぎなかった。
これに二刀の持ち主である神変夢想流小野塚鉄斎道場への乱入を始めとして、次々と殺戮を繰り返すニヒルで個性的な人物像、右目と右腕の無い異様な姿の侍という設定と、小田富弥の描いた挿絵の魅力によって人気は急上昇した。黒えりの白の着流しというスタイルは小田が創案し、不忘もこれを小説に取り入れた。

これの映画化は小説発表(東京日日新聞の連載)の翌年の昭和3年1928年で東亜からは団徳麿が、マキノからは嵐寛寿郎が丹下左膳を演じたが一番人気は日活の大河内傳次郎主演 伊藤大輔監督の黄金コンビによる「新版大岡政談」が大当たり🎯した。
同じ昭和3年だけで第三篇まで作られたところにその人気の程が伺える。
昭和8年1933年にはこれらの解決篇と銘打ちトーキー化して再上映されこれが大ヒット。
丹下左膳=大河内傳次郎 となったのは実にこの時からである。
そして「…しぇいは丹下、名はシャゼン」と言う大河内の訛りが混じった独特のイントネーションによる台詞回しが人々の人気に輪を広げた。

そして昭和9年1934年の「丹下左膳 剣戟篇」を挟んで昭和10年1935年には「丹下左膳余話 百万両の壺」が日活の新星監督 山中貞雄により封切られたが、その時の主題歌として作られたのが本日お送りする東海林太郎歌うところの「丹下左膳の唄」であった。

ポリドール、キングレコードのダブル専属で前年に♫赤城の子守唄 で一躍スターダムにのし上がっていた東海林太郎(とうかい りんたろう ではないしょうじ たろうと呼んで下さい!)が粋な映画音楽調の曲に乗って軽快に歌い、まるで大河内の踊るような殺陣(たて)を観るかのごとく颯爽としていた。
作詞 は天才藤田まさと その映画ストーリーのエキスを見事に切り取った詞を最後に掲げた。
作曲は放浪の天才作曲家 阿部武雄 この人は昨年一度小稿で取り上げた。
勿論映画は大ヒット、現在でも唯一オリヂナルを通して観れる最古の戦前の丹下左膳映画なのだが、原作者 林不忘はホームドラマ風にアレンジされたこの映画に関してはお気に召さなかったようで、それで敢えて丹下左膳"余話"としたらしい。
天才監督として評価の高い山中貞雄だが、林不忘にその天才振りを見抜く眼がなかったらしいのは誠に残念なことだ。

一 **度胸七分で 色気が一分
残る二分金 さらりと酒に
姓は丹下で 姓は丹下でよ
名は左膳

二 人が招けば くるりと背中
旋毛曲りで 偏屈男
またとあるまい またとあるまいよ
見られまい

三 ままよ チョビ安 メソメソ泣くな
粋な姐さんが 花咲三寸
俺とお前と 俺とお前をよ
お待ちかね

四 伊賀苔猿 しっかり抱いて
なんの因果か 白刃の踊り
男左膳の男左膳のよ
泣き笑い**

こう言う歌は二度と作られますまい。

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