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演歌の源流 # 9

赤い椿の港町 : 霧島 昇1951

最近 椿の花を歌った歌が無くなった。

椿は散る時に…ボトって落ちる。
武士の時代には切腹して介錯した時の首が落ちる様を想起する…と言う事から一部の武家屋敷では敬遠されたらしい。
然し、江戸時代には武家から庶民まで大変流行したと言う。

明治の元勲山縣有朋の屋敷だった文京区の椿山荘も椿が好きだった主人が名付けた。
かの黒澤明も1961年に時代劇エンターテイメントの傑作「椿三十郎」を撮った。
侍屋敷の泉水に隣の椿屋敷から椿を流して襲撃の合図にする…と言う秀逸なシーンがあった。
三十郎の三船が…どちらの色の椿を流しましょうか?と聞かれて、えーい🤨面倒くせー、何でも良いからジャンジャン流せ! と号令し、流れてきた時に城代家老の奥様と娘がまあ、綺麗✨と感心する件が襲撃のシーンと被ってコントラクンプト効果(対位法的)が高まり素晴らしいシーンとなっていた。

昔の流行歌の歌詞には頻繁に使われたものだった。
♫人妻椿 ♫椿の丘 ♫アンコ椿は恋の花…

本日ご紹介する♫赤い椿の港町 は作詞は流行歌の作詞家としては第一人者だった西條八十が典型的流行歌として書いた歌で、元NHKアナウンサーの故 中西龍に言わせれば、ここには流行歌の全てが詰まっている と説く。
旅、ひと夜の情け、温泉(いでゆ)、鴎、はかない夢、切ない旅、そして赤い椿。
相手の女性は明らかに一夜限りの女(ひと)だ。

詞もそうなら曲も典型的短音階流行歌の定番的メロディだが、小生はこの曲は後にデビューする船村徹 的な香りがしてならない。
作曲はベテラン上原げんと だったが若き日の船村が影響を受けたと思しきメロディである。
歌唱もベテラン霧島昇だから、渋い歌声に壺を押さえた強弱を付けた表現が絶妙である。

こう言う音楽が何気に流れて来るような寂れた赤提灯🏮で一献傾けたいものだ。

船村徹…と言えばよくこうしたセットでカウンターの隅でギターの弾き語りで歌っていたのを思い出す。
しんみりした日本の情緒をこの人ほど体現した作曲家は居なかった。
演歌の時代と流行歌の時代を繋いだ貴重な架け橋だった。
そのお手本がこの作曲者 上原げんとは流しの出身だった。
だから、上原の書く曲には哀愁があった。

上原げんとの最後の弟子が五木ひろしである。

https://youtu.be/adUlzeiJDow

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