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ミシガンから来た男 # 4

月曜日からは : ポールホワイトマンOrch.1928

トラッドジャズを好む人でさえ、ポールホワイトマンのことを、ジャズを理解していない商魂男…扱いされる方が多い。
実にこの人くらい長年誤った評価を受けてきた人も無かろう。

まともで偏りがなく正当に評価したのは映画やジャズ評論家で映画館のプログラムのイラストを長年手掛けられた野口久光さんと我が国のビックスバイダーベック研究者の第一人者、柳澤安信さん、そして個性的なジャズ批評で長年活躍された油井正一さんくらいなものである。

ビックスバイダーベックがポールホワイトマンと契約を結んだのは1927年10月31日のことで、共にジーンゴールドケット楽団専属だったニューオリンズ出身の白人ベーシスト、スティーブブラウンと同日だと言われている。
1992年のイタリア映画「BIX」の中では、フランクトラムバウアーと一緒にホワイトマンと契約を結ぶというシーンがあったが実際のトラムバウアーの契約はビックスらよりも2週間遅れだったと言う。
ポールホワイトマンは1920年頃からダンスバンドを率いて活動してきたがこの頃には金満家として知られており、1923年には政界、財界人との交際も公になっていたくらいの人物であった。
映画「BIX」の中でもポールホワイトマン役の役者にこんなセリフを言わせている。
「…楽団が楽旅で移動するとき、大抵の経営者は旅費を計算するだろう?しかし、ワシはそんなことでは悩まない。汽車ごと買い上げる!…笑笑…コレがワシの流儀さ」。

それまでのビックスはウォルベリンズで名を挙げてデトロイトに拠点を持つジーンゴールドケット楽団の専属となる。
そこで生涯の友フランクトラムバウアーと知り合い、あの名盤♫ブルースを歌おう や♫私はヴァージニアへ が吹き込まれる。
又ジーンゴールドケット楽団の編曲家ビルチャリスというビックスバイダーベックの才能を高く評価し、ビックスの為にアドリブ枠を大幅に広げるなど、ビックスが遺憾無く目立てるような編曲を施した才人のお陰でビックスは特段の飛躍を遂げたのだった。
ジーンゴールドケット楽団時代のビックスの入ったダンスナンバーは中には全編ビックスがコルネットをフリーに吹いてもいい、と言う♫クレメンタイン と言うナンバーまで存在する。
又、♫マイ プリティー ガール では火を噴くようなトランペットセクションで観客を魅了するダンスナンバーがあり、ビックスのアドリブを3人のトランペッターがユニゾンで譜面に忠実に吹くと言う画期的なアレンジで当時のダンス音楽では最先端な手法でジャズの魅力を一般聴衆にも広めた功績は実にビルチャリスの編曲術によるところが大きかった。
ポールホワイトマンがこの楽団に目を付けるのは或る意味必然で、音楽に野心を持つ者でジャズと言う新しいうねりに少しでも興味を持つ者ならジーンゴールドケット楽団の活躍に反応しない者は居なかった筈だが、ポールホワイトマンの金権手法でジーンゴールドケット楽団は敢え無く解散となる。
楽団の肝だったアレンジャー、ビルチャリスがホワイトマンに引き抜かれたのだ。
しかし、その直前にビックスやフランクトラムバウアー達一党はニューヨーカークラブを拠点に活動を開始、ビックスは初めてのリーダー名義での録音を敢行、これがヒズギャング名義で前回#3 で紹介した♫ジャズ ミー ブルース ほか後年のディキシーランドジャズの礎となる名演から♫グース ピンプルズ といった気鋭の新曲迄この端境期のビックスやフランクトラムバウアー名義の録音はビックスの代表作ばかりである。

そして、ポールホワイトマンにスカウトされて一足先に楽団入りしていたビルチャリスの執拗な説得により、ビックスバイダーベックのポールホワイトマン楽団入りが決定される。
当初ホワイトマンはビックスのいびつなアドリブには難色を示していたと言うが、ビックスの素晴らしさをホワイトマンに注入したのは散々ビックスのアドリブを編曲してきたビルチャリスがホワイトマンを説得した成果であった。
ポールホワイトマン楽団はビックスが入ってからは格段にジャズ色が濃くなり、又地鳴りのようなスパーク感に強靭なバネを思わせるスティーブブラウンと言う一流ベーシストが加わったお陰で、チンケなダンスナンバーが一瞬でも魅惑のジャズアレンジに転換するバラエティさが新たなホワイトマン楽団の売りになる。
そして、ビックスの人脈から作曲家ホーギーカーマイケルが呼ばれて、ホワイトマン楽団からのピックアップメンバーによるカーマイケル自作の♫ウォッシュボードブルース が1927年11月18日にシカゴのビクタースタジオで録音された。
ポールホワイトマン楽団らしからぬ、黒っぽい演奏はホワイトマンの狙い通りであり、ピアノを自ら弾きながら歌うカーマイケルの唄とイクスプロージョンが炸裂するビックスの短いソロはリアルジャズそのものであり1927年末の時点でこの音楽は10年以上先を行っていた。
この演奏を皮切りにポールホワイトマン楽団時代のビックスバイダーベックライクな時代が到来するのだ。
本日はホワイトマン楽団、魅惑のジャズレコードサーフィンと行きたいところだが、このホワイトマンがやはりスカウトしてビッグスターに成長するビングクロスビーが作曲して且つ、ハリーバリスやアル リンカーらリズムボーイズとして吹き込んだご機嫌なナンバー♫フロム マンデイ オン のレコードの変遷をお聴き頂こうと思う。
この歌は同時代のジャズの雄ルイアームストロングをして、私がビックスの演奏で一番のお気に入りは♫フロム マンデイ オン である と言わせしめた作品として有名であり、リチャードハドロックはビックスの伝記の中で、「ときには"フロム マンデイ オン"の冒頭の長いソローことにバイダーベックが持続的に叫ぶ高音Cで地を震わせるテイク4ーのような、彼のバンドと見紛うばかりの録音もある。」と短いが印象的な記述も見られる。
貴重なテイク1と2のレコードは1928年1月12日にシカゴで録音されたが、最初の試作段階でビングクロスビーらのリズムボーイズだけの演奏としてリリースされた。
先ずはそちらからお聴きいただきます。

https://youtu.be/74ISJWzKiu4

テイク1 は↑ココをタップする

ポールホワイトマンはオーケストレーションをマティマルネックに依頼してダンスナンバーとジャズナンバーの不思議な融合曲が編曲された。
ことに#1 から約一カ月後に録音されたテイク3は冒頭からビックスのソロが効果的であり後半にスティーブブラウンのストリングベースのピッキングが入りだすとシンコペーションがクッキリと線引きされて俄然ジャズ色が増す。
小生のお気に入りはこの#3 だ。

https://youtu.be/_GKnQ9i1iLE

テイク3は↑ココをタップする

そして#3 から半月後、2月28日に録音されたこの曲の完成型にして最もポピュラーなVer. #4と # 6 が録音された。
スティーブブラウンが抜けてミンレイブルックのチューバにベースが変わっただけで、こうも変わるか?と言うくらいジャズ的感興に欠けてしまうのだが!リチャードハドロックが先に述べていたテイク4 はこのVer.のことであり、ビックスのソロの変化は4と6とではポケットのまさぐり方が全く違う事が分かって頂けると思う。

https://youtu.be/DOe_n17MsfY

テイク4、6は↑ココをタップする

1970年代にはこの古式床しい演奏をそっくり再現した試みがイギリスロンドンの劇場でライブ録音された。
それだけで十分ニュースなのでココではビックスのアドリブもビングクロスビーのボーカルも再現に徹するのみでここから又、何か新しい化学変化は起きていないが、西洋人の懐の深さみたいなものが垣間見えて大変興味深い。
オマケ的で聴いて頂ければ幸いである。

https://youtu.be/pOrUK-gqFDE

ニューVer. は↑ココをタップする

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