見出し画像

シティポップ大全 #3

☆荒井由実

ユーミンのアルバムデビューは1973年昭和48年 小生は幼稚園の年長さんの時だった。

おおきくなったら、おまわりさんになりたい
とほざいていた(^。^)

その時にウチの兄は小5 何故かかまやつひろしのDJのエアチェックしたカセットテープを後年聴かせてもらった。
随分ませた小学生だったのだな(^。^)

ユーミンが今度アルバム「ひこうき雲」でデビューすると言う話をプロデューサーでアルファレコード社長だった村井邦彦氏と対談していた。
あのテープは今、何処?

ユーミン22歳の時にミュージシャン兼アレンジャーの松任谷正隆氏と横浜山手教会で結婚、その直前にリリースしたアルバム「14番目の月」は荒井由実名義最後のアルバムとなった。
ウィキペディアによると、この時ユーミン自身
は、引退する腹積りだったらしいが、専業主婦にはなり切れず、新しい姓で音楽活動を続けたらしい。
その後の活躍を見れば、それは正しい選択だったのかも知れ無い。

ユーミンは1954年に八王子の老舗呉服店 荒井呉服店の次女として生まれた。
一昨年の成人式の時に横浜のレンタル業者の成人式直前の破産に寄って晴れ着を着れない被害者らから急きょの相談を受けて臨時でレンタルで対応するなど、本来の予約も満杯の状態の中で対応したのが八王子市内の呉服屋だったが荒井呉服店もその中の一つであった話は有名だ。
ユーミンは中学生時代にカツラを購入して家族には寝ているように見せかけて、港区麻布台三丁目(旧表示 麻布飯倉片町8番地)のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしてフィンガーズの追っかけをしたりする内に、この文化的サロンとも言うべきレストランに集まるアーティストたちの気運で作られたアルファレコードからデビューするキッカケを掴むことになる。

ユーミンは今やJ-POPの重鎮とも言うべき存在だが、本人にはそのような気概は全くない。

それは彼女のラジオでのDJで垣間見ることが出来る。
スタンスは常に自然体であり、リスナーからの葉書の殆どは女性からの恋愛相談であり、それをどんなに長文でも紹介して、その内容についていいものはいい、ダメなものはダメ、とキッパリ言い切る決断力を見せ付けていた。
テレビ出演もフランクに付き合うが、出演番組は厳選している。
よく、やや後輩の中島みゆきと比較されるが桑田佳祐曰く、ユーミンは天才、中島みゆきは国宝だと言う。ユーミンが編曲や録音技術にまで拘るのに比し中島みゆきはそんなの関係ない、ビートルズにたとえ、ユーミン=マッカートニー みゆき=レノン となる。
小生は、ユーミンは都会派 みゆきは地方派
ユーミンもみゆきも恋愛感は共通しているが表現が都会派のユーミンは何処か灰汁を抜いた情感、みゆきはどっぷり怨念派である、と思う。

さて、兎に角話題に事欠かないユーミンなので一回でこの方を語り尽くすのは無理がある。

今回はユーミンがファーストアルバムの中でも特に気に入っていると言う♫雨の街を をお送りする。
演奏はキャラメルママだが松任谷正隆が実質の編曲を司る。
実に力の籠もったアレンジで後に結婚するのがよく分かる。

https://youtu.be/7EEI30qzLMg

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?