RAYSTORM 〜ひと月の激闘、そして破門の物語〜

ゾルギアの話でゲームセンターから足が遠のいたと書いたが、実は就職後すぐにわたしはあの世界に戻ってしまった。社会人となって、自分が学歴だけのごみ(その地方にいる限り高学歴と判断される程度のものだが)だということがよくわかったので、それが悲しくて情けなくて物陰でしょっちゅう泣いた。

今までは笑顔を見せれば万事うまくいっていたけれど、怒声飛び交う荒くれ者だらけの建設業界でそれは通用しなかった。小さなミスを繰り返し、たまには大きなミスもやり、指示をもらっても言葉が聞き取れない。リアルタイムで言われたらすぐさま、仕事をこなさないとならない会社勤めはわたしには難しすぎた。

母には元気で暮らしていると嘘をついた。ばれているのはわかっていたが、そう言わないわけにはいかなかった。職場とアパートは近いのに、仕事が終わるとまっすぐ帰らずわざわざバスに乗って駅前のゲームセンターに行った。知っている人が誰も来ない逃げ場がほしかった。

なぜか就職活動時代に通っていたゲームセンターに行く気は起きず、わたしは常駐先を薄暗い地下の店舗に変えた。そこでぼーっとしたり、ゲームセンターでできた仲間と束の間つるんだり、缶ジュースを飲んでまたぼーっとしたりしていた。大してゲームもしないくせに、夜はゲームセンターに入り浸る生活が1年以上続いた。

当時はたいへんショックなことがあった時期で、その辺の記憶はところどころなくしてしまっている。(おもしろいことに、無理に思い出そうとするとマンガやドラマでよくあるような頭痛が起きる。「ああっ、思い出せない……頭が痛い!」というやつだ。ときどきほじくって頭痛を起こして遊んでいる。辛いから忘れているのだろうが、好きな時に頭を痛くできるのはおもしろいから仕方ない。思い出してしまったらその時はその時だ)

なので詳細は定かでないのだが、わたしは『RAYSTORM』というシューティングゲームに強く惹かれた。ビジュアルも、音楽も、とても好みだった。敵の出現のしかたも決まっていたから、数をこなせば自分でもできそうに思われた。でも1台しかない筐体にはいつも男子高校生が座っていたので、わたしは少し離れたところから彼のみごとなプレイをただ見ていた。たまに席が空いていることもあったけれど、自分がやるよりうまい人を眺める方が楽しいと思うようになってしまっていたので、あの日が来るまで自発的にやってみることはなかった。

ある日彼が立ち上がって、「やるなら代わりますよ」とわたしに言った。不思議とやってみる気になった。ありがたく申し出を受けて、わたしは初の『RAYSTORM』に挑んだ。男子高校生はそのままいなくなるのかと思ったが、背後についてとんでもない無様なプレイを見始めた。最初のステージであっという間に吹き飛んだのを見ると、もう我慢ならんという様子で食ってかかってきた。

「あのさぁ。シューティングやったことないんすか」
「ゾルギア」
「あれとこれは全然違いますよ……」

彼は橋本(仮名)と名乗った。以後橋本くんと呼ぶ。
橋本くんは呆れ顔でこちらをしばらく見つめると、「ジュースおごってくれたら教えますよ」とぶっきらぼうに言った。こうしてわたしは橋本くんに弟子入りした。まずは敵の出現パターンを覚え、ロックをかけて効率よく潰していくことを教わった。

橋本くんは意外に根気強く寛大な先生で、基本的には黙って見守り、後からじっくり説明してくれるタイプだったが、最初の自機選びだけは厳しかった。自機は赤くて緑のホーミングレーザーを撃つR -GRAY1と、青くて紫電のエネルギーを放つR -GRAY2があって、わたしは2で遊びたいと言ったのだが、我が師は「2はスコア稼ぎ用。スコアをどうこうする段階にない人が選んでもどうしようもない」と許可をくれなかった。

最初の1週間はものすごく伸びた。でもそこで頭打ちになった。3週間経ってもステージ3を越えられない。橋本くんとわたしは「今日もだめっしたね」「そうっすね」と言葉少なに缶ジュースをずるずるすすりながら他の人の格闘ゲーム対戦を眺めている時間が長くなった。

そのころから、微熱が続くようになった。熱が38度を超え体重が減り始めても、「なんか熱が出るな」「少しだるいかな」としか感じなかった。ウイルス性の肝炎を発症していたのだがこれが病だとは思い至らず、そのまま暮らしていた。熱でぼんやりするせいか、ミスも増えてますます前進どころではなくなった。

「限界かもしれないすね」
ひと月が経つころ、橋本くんはついにそう切り出した。淡々とした口調のクールな少年だったが、この時ばかりは少しすまなそうな顔をしていた。
「シューティングは向き不向きがあるんで。始めた歳も遅いですし、たぶんぜんぜん向いてないと思います」
「やっぱりそうか。それじゃ先生、わたしは破門ですか」
「うん。破門です。がんばったかもしれないけど、これ以上は教えてどうなるとかじゃないと思うんで」

こうしてわたしのシューティング塾は終わり、言葉の使い方は明らかに合っていなかったけれど、ノリで口にした「破門」がかっこよかったので、両者納得の上で師に破門されたというのを公式ストーリーと認定した。最後はジュース以外のものおごるよ、と言ってロイヤルホストでホットケーキみたいなやつを一緒に食べて別れた。

その後さすがに体がおかしいなと思って病院に行ったところ、その日のうちに緊急入院になってしまい、駆けつけた両親の車に積まれてわたしは岩手に戻った。回復に時間がかかるので会社は退職した。数年後仙台に戻ったけれど、師とその後再会することはできなかった。シューティングは下手なままだ。

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